命の重さと両親の恩
中田秀子 さん
山口県で3人姉妹の末っ子に生まれました。
私が小学3年の時、共同経営で父がショッピングセンターを立ち上げることになったのです。
電車も通っていない田舎町には一大イベントで、オープン当日、ハトが一斉に放たれると、皆、手をたたいて喜んでいました。
それから生活は一変しました。
父は朝4時に起きて市場へ出掛け、重たい荷物を1人でトラックいっぱいに積み、母は、やったこともなかった肉の仕入れと解体処理に追われる。
帰れば家族6人分の家事が待っています。
疲れ果てて居間の炬燵で眠る母を見るたび、なぜそうまでして働くのかと、言い知れぬ気持ちに襲われたものでした。
〝這えば立て立てば歩めの親心、わが身につもる老いを忘れて〟
身を削って、私の成長をわがことのように祝ってくれる父母。その苦労が分かるほど、この命は一体何のためにあるのかと思うようになりました。
スポーツをしても、旅行に出掛けても、勉強に励んでも、何をやっても幸福感は一時的で、何となく、むなしく暗い心を感じていたからです。
しかし懸命に生きてきた祖父母や両親を思うと、ぜいたくな悩みだと恥ずかしくさえ思い、だれに言うこともなく自分の中にしまい込んできました。
そんな私が大学に進んだ時、人生には目的があると断言された親鸞聖人のみ教えに出遇うことができたのです。
「人生の目的は、苦しみの根元を断ち切られ、よくぞこの世に生まれたものぞと生命の歓喜を得て、永遠の幸福に生かされること。どんなに苦しくとも、この目的果たすまで生き抜きなさいよ」
家族に恵まれてもなお、満たされない不安な心を見抜かれた真実のお言葉に、驚きました。そして、自分の命の重さと、両親の本当のご恩が知らされ、仏法を伝えずにおれませんでした。
今では父も母も親鸞学徒となり、ともに無上道を歩ませていただいています。
昨年8月11日の夕方、分娩室に大きな泣き声が響きわたりました。
「よく頑張りましたね。元気な男の子ですよ」。受け渡されたわが子は、どこから見ても、朝青龍のような強面でしたが、真っ赤になって一生懸命お乳を飲む様子がいとおしくてなりませんでした。
わが子が生きる次の世代は、道徳の乱れ、格差の広がり、深刻な環境汚染で、ますます生きづらい世になっていきます。
傍らでスヤスヤと眠る息子を見るたびに、「生まれてきてよかった!」と心から思える人生を歩ませてやりたい、そのためには、私自身が真実一路進ませていただく以外にないと思わずにおれません。
中田さんのお母さんから送られた手紙を紹介します。
「思い起こせば、もう何年前のことでしょうね。
あなたが大学を卒業したころ、中国語ってどんな勉強してたんだろうと本やノートを開いてみたら『何これ!』とビックリ。
仏法を聞いていることは知っていましたが、親鸞聖人のお言葉が並んでいて、だいぶ驚かされました。
でも、ちゃんと中国語を学んでいたことも認めていますよ。
台湾で高森先生のご法話があった時、通訳で語学力を発揮しましたものね。勉強も仏法も両方、頑張っていました。
『家族で仏法聞きたい』という永年の思いを貫き、私たち夫婦、母、あなたの2人の姉に伝えてくれたこと、本当に感謝しています。
温かい家庭も築き、何も言うことありません。家族みんな心より応援しています。
母より」
(プライバシー保護のため、個人名は仮名にしてあります)