三木清から『歎異抄』へ
〜その真意は『教行信証』だった〜
大学の教員になったのは、実業の世界に不安を感じたからです。
私が大学生だった昭和40年代前半は、日本が高度経済成長に突入し、空前の好景気でした。
しかし、企業はいざとなると、生活を守ってはくれない。
東北の炭鉱地帯に生まれ育った私は、少年だったころ「石炭から石油へ」という国のエネルギー政策の転換で、一家の生活が根底から脅かされた体験からそう思っていました。
就職しなかった私は、1年間、イギリスの大学で自由な学園生活を送り、帰国後、大学院で「思想史」を本格的に勉強しました。
人生を有意義にするのは何か、本当に生きる価値はあるのか。この問題を、歴史や社会の現実とのかかわりで考えてみたかったのです。
肝心要がさっぱり分からない
しばらくして、西田幾多郎(哲学者)に取り組むこととなりました。
人生の問題が哲学のすべてであり、これは「今」の問題に帰着する。彼はこの点を、「永遠の今」や「絶対無」「絶対矛盾的自己同一」などの概念を使って追究しました。
彼の思索は、単なる学問を超えた、「人生」の探究者としての気迫で貫かれています。
西田と格闘する中から、彼の弟子である三木清の思想を取り上げることにしました。
彼の著書を、若い時代のものから円熟期へと分析し、最後に最大の難関に突き当たりました。彼は生前、親鸞聖人のみ教えを論じた断片的な論文を残していたのです。
彼が提起した問題は何なのか。
この点を正確に把握するには、聖人ご自身の思想を正確に知らなければなりませんでした。
聖人の教えには、以前から関心を抱き、『教行信証』や、『歎異抄』も何度かひもといておりました。
しかし『教行信証』を直接、自分の力で読み進めることは不可能で、『歎異抄』も幾ら読み返しても、肝心要のところがさっぱり分からない。いつしか、絶望的になっていきました。
鮮烈な東京講演 『教行信証』から明らかに
ところが、大転換が起きたのです。東京大学で仏縁を結んだ長男を通じ、平成12年秋、東京国際フォーラムで、高森顕徹先生の講演に参詣できたのでした。
高森先生は、『歎異抄』1章の「弥陀の誓願不思議にたすけられ参らせて」の一文、および『教行信証』総序冒頭の「難思の弘誓は難度海を度する大船」について、懇切丁寧に解説されながら、聖人の教えの要諦をお話しなさいました。
『歎異抄』の本当の意味が、『教行信証』から明らかになったのです。
いまだかつて聞いたこともない教えが、一つ一つ、解き明かされていくことに、強い衝撃を受けました。
「今の日本に、親鸞聖人の思想を説明できる人はだれもいない」。そう決めてかかっていましたが、木っ端みじんに粉砕されたのです。
「『教行信証』に精通し、聖人の教義の核心を教示くださる先生が、ここにおられるのだ」。そう思うと、東京から親鸞会館への道のりは真っすぐでした。
八方攻撃中ただ一人明らかに
今年7月のアニメ解説で、天台、浄影、嘉祥を代表とする唐の時代の中国仏教界を向こうに回し、善導大師ただお一人、「仏の正意を明らかにされた」と教えていただきました。
善導大師をたたえられた親鸞聖人もまた、多くの悪口・雑言を浴びながら、人倫の嘲りを恥じず、ただお一人、弥陀の本願を生涯、説き続けられました。
その聖人のみ教えを、今日、さまざまな誤解・中傷のただ中で、説き続けられるのが高森顕徹先生ではないでしょうか。親鸞聖人が「善導独明仏正意」と高らかに詠われたお言葉に、高森先生のお姿を重ねずにはいられません。
(プライバシー保護のため、個人名は仮名にしてあります)