親鸞会 会員の声
平成16年9月
輝きだした生徒の瞳
(大阪府 教師)
永年、教壇に立っておりますが、最近の子供たちの姿が変わってきています。
全力で生きる、真剣な愛情を抱く、大きな志を持つ、こういうことを疑問視する傾向があるのです。
教科書によく採用されている、夏目漱石の『こころ』や、森鴎外の『舞姫』、中島敦の『山月記』などを読んでも、主人公に対して、「もっと程々の生き方、感情の持ち方をすればいいのに」という感想が多くなりました。作品のテーマに迫れず、授業に困ることが多くなったのです。
こうした子供たちの無気力さに、「今の子供はわけが分からない」と嘆く教員も多いのですが、大概の場合、子供の姿は親の投影といえましょう。
親が人生の無意味感を深めると、子供にも必ず影響が出ます。極端な例かもしれませんが、たたいても、水をかけても朝起きられなくなり、不登校になった生徒がいましたが、母親と話をしてみると、母親のほうに、深刻な人生の悩みがあったんです。そこで、高森先生のご著書を渡し、生きる目的を話すと、その母親から丁寧な礼状が届きました。その後、その子の症状も治っていったのです。
社会のルールを守る、勉強や仕事はきちんとやらねばならないという意識はあっても、それはなぜか、実は生徒の親たちも分かっていないことが多いようです。だから生きる喜びや誇りが出てこない。それが子供にも伝わるのだと思います。
教員にしても、「命を大切にしなさい」と訴えながら、死の問題は避け、生徒が問いかけてきても向き合おうとせず、「考えても仕方がない」「まだずっと先のことだ」「生きている時、精いっぱい、生きればいいんだ」とはぐらかしていることが多いんです。
ある時、クラスの後ろの黒板に「唯我独尊」と大きく書いてあったので、「この本当の意味は、すべての人に、共通して唯一の、生きる目的があるということなんだよ……」と話していくと、驚くほど、皆、全身耳にして聞いていました。
程々に生きたらいいと言う生徒たちも、心の底は、「なぜ生きる」の真実に渇し、真剣な生き方を望んでいるのだと強く感じます。
万人の生命の尊さ、大切さを説かれた親鸞聖人の教えに根ざす教育が、今日ほど必要とされている時代はないと思います。
仏教観が一変しました
(福井県 女性)
初めて親鸞会館へ足を運んだ時、それはもう、驚きましたよ。
思えば十数年前、娘が親鸞会とご縁があった時、私はてっきり新興宗教だと思ったので、娘をやめさせなければ、と心配でついていったのです。
ところが、会館に入るなり、その思いは一変しました。法味あふれる雰囲気に、心がいやされていったのです。
勤行前の静まり返った講堂は、20年通った寺では見たことのない光景でした。お勤めが始まるとだんだん涙が出てきて止まらなくなったんです。たくさんの人が声をそろえ、『正信偈』をあげる姿に胸がいっぱいになりました。若い人も真剣にご説法を聞いています。うわー、大したもんやなと思いました。
1日聴聞したあと、これは反対するどころではないと思いました。帰りの電車では、心晴れ晴れとしていたんです。そして、私も親鸞学徒にならせていただきました。
「聴聞に極まる」と教えていただきました。これからも続けて参詣させていただきます。
一生分のプレゼント
(神奈川県 女性)
数年前から息子が「仏教を聞きに行く」と、出掛けるようになりました。
どんな話を聞いているのかしらと思い、一緒に親鸞会の報恩講へ行くことにしたのです。不審いっぱいでしたが、隅々まで清潔感の漂う親鸞会館にまず驚きました。若い人たちが礼儀正しく、まじめに仏法を学ぶ姿にも感心しました。
高森先生のご説法に引き込まれ、「いいお話だ」と感じながらも、「私は今、十分満たされているから聞かなくてもいいわ」と初めは思いました。
ところが、報恩講2日め、「弥陀の本願の船は、信ずる心のない者に、阿弥陀仏のほうから近づいて必ず乗せて渡してくださる」と聞いた時、思わず知らず涙があふれました。
それまで息子から、「人生は苦なり」の釈尊のお言葉を聞いても、自分は幸せだと思っていたのです。しかし、今の幸福が続くように願っているのは、裏を返せば不安だからであり本当の幸せではない、と気づいたのです。そんな私を、この世から未来永遠の幸福に救いとってくださるのが弥陀の誓願。この教えを、心の奥でずっと求めていたんだと知らされたのです。
その後、親鸞会とご縁を結ばせていただきました。私は、息子から一生分のプレゼントをもらったと思い、感謝しています。