後生の一大事叫べども|親鸞会
富山県 親鸞会 会員 山野サト
坊守が語る 東本願寺住職の嘆き
秋田県のある町でのこと。昭和20年代、この山合いの小さな町にある東本願寺末寺の住職となった宏之氏は、一人、「後生の一大事」を説き続けていた。「この世で仏さまに遇わなければ、現在の苦しみから、死後も苦しみの世界に入るのです。弥陀をタノムよりありません」『御文章』に教えられるとおり(※)、先代の住職から聞いた平生業成のみ教えを説いたが、「これが周囲の真宗寺院(16カ寺)から非難の的とされたようです。ちょうど、東本願寺独自の近代教学が広まっていた頃でした」とサトさんは振り返る。
近代教学は、明治初期の学僧、清沢満之が主張、曽我量深、金子大栄らが引き継いだ教義で、昭和31年に東本願寺の正式な教学となった。だが実態は、西洋哲学の影響で三世因果を否定、後生も死後の浄土も認めない、仏教とはいえぬ「外道」である。
『真宗聖典』がボロボロになるまで勉強していた宏之氏が「どうして後生を認めないのか?」と、他の住職らに尋ねても「そんなこと知らんでいい、そうなっとるんや」と言われるばかりだった。
「親鸞聖人のみ教えは、断言できるハッキリしたものなのに、曽我量深らは『~だろう』『~でしょう』と、教えを自分の解釈で曲げている」。ふだんは忍耐強い夫が、怒りをあらわにしていたのを、サトさんはよく覚えている。
正しい教えを丁寧に説こうとする住職に、別の寺の門徒も集まってきた。
葬式や法事も「読経だけでなく、必ずその意義を説明していたから」という。「葬式・法事は死人の供養ではなく、生きている私たちが、亡くなった方をご縁に無常を念じ、仏法を聞くためです。これが故人の最も喜ばれることなのですよ」
法要の依頼が増えるにつれ、周囲の寺からは「そんな話をされては困る」の声が上がる。在家に招かれ、深夜まで信心の沙汰をすると、「遅くまで人の家に上がり込む非常識な奴」とも言い触らされた。サトさんは「時間を忘れるほど真剣に聞かれる方があるから、話をしていただけなのにね」。
住職の中で最年少だったこともあり、「周囲の圧力は強く、体調を崩しがちになっていきました」と語る。
「わしも聞きたかった」
そんなある日、親鸞会の青年が訪れ、高森顕徹先生のご著書『本願寺なぜ答えぬ』を置いていった。昭和59年のことだ。
ご著書を手にした住職は、サトさんにこう語った。「この本を書かれた方が、駅で説法されているのを何度か聞いたことがある」。戦後間もなく、住職の研修で京都へ行った時のことだという。「後生の一大事を、そこかしこで叫んでおられた。うらやましいなぁ、聖人のみ教えを声高らかに説法できて。ここではとてもできない」
同年9月、サトさんは岩手県での高森先生のご法話に参詣する。東京で先に高森先生と出会った息子の春彦さんに誘われてのことだ。体調が優れず参詣できなかった夫に話すと、「そうか、わしも聞きたかったなぁ」と残念そうにつぶやいた。
その後、病に倒れ、昭和63年に亡くなるが、夫が病床でも話していた言葉を、サトさんは今も忘れることができない。
「本願寺は親鸞会を異安心だと主張するが、本願寺こそ異安心ではないか」と。
夫に押し出され
サトさんはその後、夫の声に押し出されるように、高森先生のご法話に参詣を重ね、親鸞学徒となった。1年半前、富山へ移住し、息子夫婦とともに聞法の毎日を送っている。「後生の一大事を説く寺は今、どこにもありません。真実を説けない僧侶も、教えなき寺の門徒も皆、『真宗難民』だと思います。親鸞会の二千畳は、浄土真宗の本山です。多くの門徒を預かる寺院関係者こそ、正しい教えに目覚めてほしい」とサトさんは願っている。
(プライバシー保護のため、個人名は仮名にしてあります。)
※蓮如上人が『御文章』に説かれる「後生の一大事」
「まことに死せんときは、予てたのみおきつる妻子も財宝も、わが身には一つも相添うことあるべからず。されば死出の山路のすえ・三塗の大河をば、唯一人こそ行きなんずれ」(御文章1帖目11通)
“かねてから頼りにし、力にしていた妻子や財宝は、死んでゆく時には、何ひとつ頼りになるものはない。みんな剥ぎ取られて、一人でこの世を去らねばならない”
と、後生の一大事を警鐘乱打されている蓮如上人のお言葉である。
「後生という事は、ながき世まで地獄におつることなれば、いかにもいそぎ後生の一大事を思いとりて、弥陀の本願をたのみ、他力の信心を決定すべし」(帖外御文)
“後生の一大事とは、未来永く地獄に堕ちて苦しむことだから、急いでこの一大事の解決を心にかけて、阿弥陀仏の救いを求めねばならない”
「われらが今度の一大事の後生御たすけ候えとたのみ申して候」(領解文)
仏教では一体何が救われるのかと言えば 「後生の一大事」が救われる、と蓮如上人は明示されている。
「されば、人間のはかなき事は老少不定のさかいなれば、誰の人も、はやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深くたのみまいらせて、念仏申すべきものなり」(御文章5帖16通・白骨の章)
「早く後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏の救いを頂きなさい」と蓮如上人がお勧めになっているお言葉である。