門徒総代になって20年、
寺に人が寄りつかない理由が親鸞会に来て分かった|親鸞会
富山県 澁木作次さん(80)
富山県高岡市の澁木作次さん(80)が西本願寺の門徒総代になったのは62歳のころ。建設省(現・国土交通省)を退職し民間企業に勤めていた。住職に懇願され、これも人助けになるのだろうと思って引き受けた。
数年前、住職の代わりにその息子が寺で説教したことがある。親鸞聖人のお言葉の意味について、「父はこう言っていますが、私は反対意見です。どちらが正しいか、皆さん適当に判断してください」と言われた。
〈こんな無責任な話あるのか?住職と意見が違うなら、よく調べるべきなのに、自信のないことを門徒に話すのはおかしい……〉
自分の考えを堂々と話すのは、この息子だけではなかった。寺の報恩講や追悼会、夏の朝説法、正月の行事など、そのつど布教使を招待するため、澁木さんは50人以上の話を聞いてきたが、いずれも自分の意見や考えばかりだった。
〈一人一人話が違う。浄土真宗の教えは、よく分からないなあ……〉
世間話が主で、漫才や浪曲、落語などの娯楽を混ぜることもよくあった。
毎月開かれる「連続研修」では、『正信偈』の読み方や焼香の仕方は習うものの、『正信偈』や『恩徳讃』『歎異抄』など、ご文の意味は聞けない。
いつも最後に「南無阿弥陀仏と称えておれば、誰でも死ねば極楽へ往ける」と締めくくられたが、若くして両親と死別した澁木さんの〈死ねばどうなる?〉の後生不安な心は、少しも晴れなかった。
そんな寺から門徒が離れていく実態を、住職も総代も皆、憂えている。研修会などで集まるたびに、「このままでは寺は組織が変わるか、統合されるか、消滅するかもしれない。打開するにはどうすればいいか」。
これが話し合いのメインテーマだった。
〈確かに、寺を存続させるのは難しいだろう。寺の役割とは一体……?〉
親鸞会と寺との違いが分かった
澁木さんがチラシを見て地元の勉強会に足を運び、親鸞会の二千畳での法話に参詣したのは2年前の夏である。
『正信偈』冒頭「帰命無量寿如来 南無不可思議光」の意味を初めて聞いた。
「まさか、この世で救われるなんて、そんなことあるのか。浄土真宗は死人のための教えと思っていた。生きている時に救われる!これが本当の浄土真宗なのかと、すごい衝撃を受けました」と振り返る。
なぜ寺に人が寄りつかないのか、親鸞会の二千畳に来て、その理由が分かった。寺では「核家族化が進んだ」「文化水準が上がったから」などと言っているが、「根本は、親鸞聖人の教えを説いていないことです。本願寺なのに『阿弥陀仏の本願』を聞いたことがない。弥陀と釈迦の違いも知らない。因果の道理も後生の一大事も、平生業成も何もない。教えはゼロでした」。
教えが素晴らしいから、親鸞会で親鸞聖人の教えを聞く人もイキイキしている。「別の星に来たようだった。若い人が多く、しかも礼儀正しい。表情も明るくて、歩いていると、みんなから挨拶されます。普通は大勢集まると騒がしいのに、二千畳は違う。満堂なのに、ご説法が始まると雑音は一切ありません」
80年間、寺で聞けなかった教えを、今こそ深く学びたいと、昨年から教学(仏教の学問)の勉強を始めた。ご説法を正確に早く理解するには、どうしても必要だと感じたと言う。「酒と囲碁が趣味でしたが、勉強に集中するため、やめました」
一緒に親鸞会の二千畳で聞いてみましょう
「門徒総代やめます」と住職に伝え、今春、京都での750回忌には行かなかった。「ホンモノを知って、ニセモノが分かったからです」
親鸞聖人は「更に珍らしき法をも弘めず、お釈迦さまの教法を、我も信じ人にも教え聞かしむるばかりなり」と仰る。高森顕徹先生も「私は親鸞学徒です」と言われ、常に親鸞聖人のお言葉を示してお話しなされる。「この親鸞学徒の本道を目指してこそ、寺の未来は明るくなるのでしょう」
本願寺のすべての住職に、親鸞会のことを尋ねられたらこう伝えたいと思っている。「いっぺん二千畳で聞いてみましょう。想像だけで文句を言っていても始まりませんからね」