親鸞会で知った、歎異抄の本当の意味
米田佳澄(仮名)
私は大学のゼミで歎異抄を1章ずつ読んでいます。『日本三大美文』の1つである歎異抄と私が出会ったのは、大学2年生の時でした。
「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや (歎異抄)」
という一文を丸一年かけて理解していく、そんな講義を選択しました。
ドキッとするような文章に、思わず引き込まれましたが、意味は全くわかりませんでした。そもそも「善悪」とは何なのかわからない。でもそんなに勉強熱心ではなかった私は、そのまま放っておきました。
その後、人間関係や授業の不安や勉強の行きづまりなどで、全てのやる気を失い、ダラダラ大学にいるよりは、一度全部やめて、実家に帰ってリセットしようと思い、半年間の休学をすることにしました。
実家に戻って3週間ほどたった頃、中学時代の友人に会いました。
大学で哲学、宗教、仏教に関心を持っていたことを話すと、親鸞会の会員になっていた同級生は、
「ぜひ聞いてほしい話があるんだ」と、親鸞会の講演会に招いてくれました。
そこで、親鸞会の講師から、親鸞聖人の教えについて話を聞いたのです。
「これは以前から疑問を解決するチャンスかもしれない」
と思った私は、
「親鸞聖人の悪人正機説とはどんなことなのか?」
「善悪とは何か?」
ここぞとばかりに尋ねました。
親鸞会の講師の方は、一つ一つの疑問に、私が分かるまで、丁寧に話をしてくださいました。
それ以後、もっともっと詳しく知りたいと思い、大学に復帰し、続けて親鸞聖人の教えを聞くようになったのです。
親鸞聖人の教えを聞いていくうちに歎異抄第一章に説かれている「摂取不捨の利益」、これこそが人生の目的なのだと知らされました。大学の授業では、学問的に歎異抄を読んでいますが、それだけではわからなかった、「本当の生きる目的」が、断言されていることに、驚きました。
歎異抄は、カミソリ聖教ともいわれます。
親鸞聖人の教えをよく知っている人でないと、大変な読み間違いをするところが多いから子供にカミソリを持たせた譬えでいわれます。
今、本当の親鸞聖人のみ教えに、こんなにすごいことが、説かれていることがわかった私は、この歎異抄の魅力を一人でも多くの人に知ってもらいたい気持ちです。