妻からの法灯 家族にともして
大阪府 Uさん
「有名大学に進み、一流企業に就職したとして、その先どうなるか」と高校時代の私は、漠然とした不安を抱えていました。
そんな心をかき消そうと猛勉強し、大学は薬学部に入りましたが、その喜びも続くものではありません。大学では勉強以外にも何かに打ち込もうと合気道部に入り、汗を流す日々でした。
しかし、心のむなしさはどうしようもなく、「毎日同じことを繰り返すばかりなのに、なぜ生きているのだろうか?」と考えるようになりました。
こんな思いをだれにも打ち明けられないまま、大阪の製薬会社に就職しました。
悶々としていた7年前、妻と知り合ったのです。妻から紹介された『なぜ生きる』を読んで人生が大きく変わりました。
「苦しくとも、なぜ生きねばならないのか」。最も知りたかった私のこの問いに、「苦しみの波の絶えない人生の海を、明るくわたす大船に乗り、未来永遠の幸福に生きることである」と、ハッキリ答えを示された方が親鸞聖人だったのです。
そして平成13年8月、滋賀で初めて高森先生にお会いすることができました。
続けて聞法し、これはすごい教えではないかと知らされましたが、一方で自分の問題としてはさほど深くとらえてはいませんでした。
あまりにも大きな問題なので、とらえることができなかったのです。
それから2年後、親鸞会の会員となった私に、仏法への思いが大変わりする出来事が起きました。脳梗塞を患っていた父が亡くなったのです。
その時、悲しみながらも、父の無常にさえ驚かない鈍感な心があると気がつきました。
心の奥底は、少しも動かないのです。
さらに聞法を重ねていくと、人にはとても言えない醜い心や慢心いっぱいの自己も知らされてきました。
しかし、こんな私も間違いなく後生を迎えねばなりません。このままではいけない。大変なことを知らされながら、それを大変なことと思わない心が確かに潜んでいる。親鸞会で教えられることは、本当に大変なことだ。
平生に一座でも多く親鸞会館のご法話を聞きたい、また、この真実をお伝えしたいという心になってきました。
真っ先に、苦労をかけてきた母に伝えたい。実家の山梨に帰省するたび話をし、地元の親鸞会の講演会や、2000畳の親鸞会館でご縁を深めた母は、2年前、親鸞学徒にならせていただきました。。
親子で仏縁に恵まれた今、感謝せずにおれません。妻の両親や互いの兄弟とも、仲良く2000畳の親鸞会館で聞法させていただきたいと思っています。
これが私の夢なのです。