『歎異抄』の謎やっと解けた
「本願寺に親鸞さまおられなかった…」|親鸞会
本願寺で分からなかったら一体どこへ行けば?
6年前に夫を亡くし、住職に勧められて西本願寺の仏教学院へ通った。住職になるための学校という。だが、親鸞聖人の教えは全く分からず、講義の最後に蓮如上人の『領解文』を読むものの、「一大事の後生?往生一定?きっと何か大事なことのはずなのに、少しも教えてもらえない」。
週に5日参加して10カ月たったが〈ここは、親鸞さまの、おいでにならないところだ……。このまま続けても時間の無駄だ〉。そう感じてやめてしまった。
〈でも、本願寺で分からなかったら一体どこへ行けば?〉
親鸞聖人が比叡山を下りて法然上人に会われたように、「私も人生の師にお会いしたい」と願うばかりだった。
ここには私の疑問と、答えが、全部書かれていた
重い心を抱えたまま3年が過ぎた。書店で『歎異抄をひらく』を見つけ、家に帰るや夢中でページをめくった。ポロポロあふれる涙を片手で拭い2日で読み終える。「ここには私の疑問と、答えが、全部書かれていたからです。章のタイトルが自分の気持ちにぴったりでした」
〔念仏称えたら、何かいいことあるの?何か呪文のように思うけど〕(2部14章)
では、自力・他力の念仏が明示されている。
〔南無阿弥陀仏ってどんなこと?〕(同16章)
の問いには、六字の御名号のいわれが懇切に教えられている。
「目から鱗が落ちるようでした」。思えば20年前から『わが歎異鈔』『わたしの歎異抄入門』『歎異抄の謎』など、多数の解説本を読んできた。
しかし、「『歎異抄』で、どうしても気にかかる〔ただ念仏して〕〔無碍の一道〕など、キーワードの解説がなされていなかったのです」。
やっと私も、
なぜ生きるかを明らかにされる先生にお会いできました
750回忌の今年初め、家に届いた本会講演会チラシを見て船橋市内へ足を運ぶ。3月に初めて二千畳に参詣した。「親鸞聖人のように、やっと私も、なぜ生きるかを明らかにされる先生にお会いできました。『歎異抄をひらく』の反論書が出ていないそうですが、親鸞さまのおられない所からは、ちょっと無理でしょうね」
『歎異抄をひらく』発刊より3年4カ月
毎年、10冊以上出ていた『歎異抄』の解説書が、『歎異抄をひらく』が出て3年4カ月、さっぱり見かけなくなってしまった。20万の読者を得て、『歎異抄をひらく』は今や「歎異抄解説」の決定版となりつつある。それが真宗界にとって、いかに不都合な事態であるか――。
『文藝春秋』(7月号)で、本願寺理事長が「南無阿弥陀仏と称えることがあらゆる苦しみから私たちを救う」と言っていた。それは『歎異抄』2章「ただ念仏して弥陀に助けられまいらすべし」の「ただ」の典型的な誤解であり、多くの人が同様に「聖人は、ただ念仏を称えて救われたのだ」と信じている。
だが『歎異抄をひらく』にはその誤りが、徹頭徹尾、親鸞聖人のお言葉で示され、信心正因が弥陀の救いであることが明らかにされている。どちらが親鸞聖人のみ教えか、読者の多くが本願寺の誤りに気づき始めているのだ。『歎異抄をひらく』を異端と立証せねば、正統派を自認する者たちは、自らを異端と認めざるをえなくなるだろう。