体験手記──父を変えた弥陀の大願力
Yさん
父は大の仏教嫌いで、私が親鸞会で仏法を聞くことをずっと反対していました。それが最近、大変わりしたのです。
父は母一人子一人、その母親も十三歳の時に亡くし、親戚の家で育てられました。
だれも頼ることができず、人一倍努力してきたそうです。だから競争心が強く、また家族の愛情を知らずに育ったせいか、人に対してどこか冷たく、人をはねつけることで自分を守ってきた、そんな孤独な青年だったようです。
それは家庭を持ってからも変わらず、娘の私にも冷たい壁を作り、心から「お父さん」と思えたことがありませんでした。
十年前、親鸞会で、親鸞聖人のみ教えに遇えた私は、両親に伝えようとしましたが、宗教偏見の強い父は猛反対で、ますます私から遠ざかりました。
仏法一筋の進路を選びたいと話してからは、よりエスカレートし、私を虫けらでも見るような目でにらみ、声をかけても無視。口を開けば、「出て行け、勘当だ」「仏法のものはすべて捨ててやる」と、罵声を浴びせつづけました。
どんな話を聞いているのか話してみろと言われ、夜遅くまで話したこともありましたが、初めからあら探しをするつもりなので、何を言ってもはね返し、平行線をたどるだけでした。何とか分かってもらおうとしましたが、どうにもなりませんでした。
幸い、母は仏法に理解があり、それだけが唯一の明かりでした。
家庭内はいつもピリピリしていて、父がいつどなりだすか分からず、まるで戦場にいるようでした。毎日のように「出て行け」と言われるため、とうとう母も私も疲れ果て、私は一人家を出て、暮らすことになったのです。
ところがそんな父が、突然、親鸞聖人のみ教えを聞きたいと言ってきたのです。
少し前、自分の厳しい言動がきっかけで、会社で非常につらい立場に置かれた父は、精神的にかなり痛手を受けておりました。そこへ育ての親である父の叔父が亡くなり、無常と罪悪をいろいろ考えさせられたようです。どれだけ人を傷つけ、恐ろしいことをしてきたか、自分に目が向き、救いを仏法に求める心が起きたのでしょう。親鸞会主催の、地元での講演会にも参詣するようになりました。
決して謝ることのなかった父が、「今まですまなかった……」と涙ながらに、私と母に謝ってくれました。その時、父との間にずっとあった厚い壁が一気に氷解し、初めて心から「お父さん」と呼ぶことができたのです。
やっと本当の父と娘になれた。涙が止まりませんでした。
それからの父は、まるで別人のように優しくなりました。そして一生懸命、仏法を学ぶようになったのです。私がしまっていた高森先生の著書や、親鸞聖人のアニメを次々に探し出し、食い入るように拝読して、分からないところを質問します。食事中だろうが、洗面所だろうが、父のほうから話をしてくるのです。あれほど親鸞会で仏法を聞くことを反対していた父が、大変わりしました。
「今やっとギリギリ間に合うところで大事なことに気づかせていただいた。見えない力で引っ張られているのを感じる。今が最後のチャンスと思う」と父は言います。お仏壇の御本尊も父の希望で、御名号にさせていただきました。
今まで暗く沈んでいた家庭が、明るく楽しく、笑顔も絶えなくなりました。
父が「もっとおまえから聞きたい」と言うので、一人暮らしをやめ、実家に帰ることになりました。家族で仏法を語り合えるのは、こんなにも幸せなことだったのです。
降誕会、親鸞会結成50周年大会にも家族で親鸞会館に参詣する予定です。ものすごい無上仏のドラマを見せていただけて、感謝の心でいっぱいです。
お父さん、ありがとう。
私は、お父さんの娘です