親鸞聖人の人間観 源泉は弥陀の本願
「すべての人は父母兄弟」の真意|親鸞会
「親鸞は、亡き父母の追善供養のために、念仏一遍、いまだかつて称えたことはない」。『歎異抄』5章の冒頭に、親鸞聖人は衝撃的な告白をなさっている。その理由の一つを、「すべての人は父母兄弟だから」と記され、人種も国境も越えた親鸞聖人の人間観が示されている。そのお言葉の根底は何か。平成23年12月に開かれた『歎異抄をひらく』のテレビ座談会で高森顕徹先生から教えていただいた。法友の声を通して振り返る。
『歎異抄』第5章
親鸞は父母の孝養のためとて念仏、一返にても申したることいまだ候わず。
そのゆえは、一切の有情は皆もって世々生々の父母兄弟なり。いずれもいずれも、この順次生に仏に成りて助け候べきなり。
〈意訳〉
親鸞は、亡き父母の追善供養のために、念仏一遍、いまだかつて称えたことはない。
なぜならば、忘れ得ぬ父母を憶うとき、すべての生きとし生けるもの、無限に繰りかえす生死のなかで、いつの世か、父母兄弟であったであろうと、懐かしく偲ばれてくる。されば誰彼を問わず、次の生に、仏になって助けあわねばならないからである。
逆謗・闡提こそお目当て
茨城県 親鸞会 会員 山本大二郎
「親鸞は父母の孝養のためとて念仏、一返にても申したることいまだ候わず」。
この『歎異抄』5章冒頭のお言葉は、弥陀の本願から仰ったものであると知らされました。
阿弥陀仏は十劫の昔に、すべての人を逆謗・闡提と見抜かれて、そんな者を絶対の幸福にしてみせると約束されています。逆謗も闡提もみな、弥陀の本願のお目当て「大悲の子」であり、兄弟であります。
その弥陀の御心をハッキリと知らされられた親鸞聖人だからこそ、『歎異抄』に、
「一切の有情は皆もって世々生々の父母兄弟なり」
(すべての生きとし生けるもの、無限に繰りかえす生死のなかで、いつの世か、父母兄弟であったであろう)
と述懐なさっておられます。
「すべての人は父母兄弟」という親鸞聖人の人間観は、弥陀の本願抜きには絶対に分かりません。その真意を知らされ、喜びに包まれています。
逆謗も闡提もみな大悲の子
十方衆生(すべての人)を救うと誓われている阿弥陀仏は、私たちをどう見ておられるか。阿弥陀仏の本願のお言葉に「唯除五逆誹謗正法」とあるのがそれである。五逆は親を殺す罪、誹謗正法は仏法を謗る罪。心を重視する仏教では、体でやらずとも、親を恨み、邪魔と思えば五逆罪であり、善知識をおろそかに思えば謗法罪と説く。十方衆生で五逆・謗法罪を造らぬ者は一人もいない。どちらも無間地獄へ堕ちる恐ろしい罪と仏教で教えられるが、そう聞いても驚きもしない屍の心が闡提である。三世諸仏から見捨てられた、かかる五逆・謗法・闡提の極悪の者を、阿弥陀仏だけが「我をたのめ、必ず助ける」と誓われている。だから十方衆生は皆、弥陀の大慈悲の対象であり、大悲の子といわれるのである。
「弥陀の本願まこと」からの確信
富山県 親鸞会 会員 上村 靖男
「人類は皆兄弟」という言葉は、決して耳新しいものではありませんが、『歎異抄』5章のお言葉は、倫理道徳的な名言として片付けられるような、うわべだけの言葉とは全く違います。その根底に「すべての人を救う」弥陀の本願があることを知らされ、驚かずにおれませんでした。
微塵の差別もなく、全人類は皆、逆謗闡提であると見抜かれた弥陀の人間観は想像を絶します。
親鸞聖人が「すべての人は父母兄弟」と仰ったのは、断じて推測ではなく、「弥陀の本願まこと」から出た確信であることに、また驚嘆せずにおれませんでした。
『歎異抄』に著された他力信心の深さと、その厳存を強烈なインパクトで知らされました。
親の恩 根拠は仏法に
愛知県 親鸞会 会員 藤澤 昌憲
根拠なしに親の恩が言われている、の一言が心に響きました。一般に孝行は勧められますが根拠がなく、「なぜ孝行せねばならぬのか」という疑問を起こさせ、特に虐待を受けた子供には親への複雑な恨みをかきたてます。
親の恩が分からないのは、お釈迦さまの仰る「人身受け難し、今已に受く。仏法聞き難し、今已に聞く」の喜びがないから、とお聞きし、得心いたしました。
「よくぞ人間に生まれたものぞ」の生命の大歓喜を得て初めて、「この親なかりせば、この身にはなれなかった」と、どの人も真の孝行をせずにおれなくなるに違いありません。
なぜ親の恩が説かれるのか。それは、人間に生まれなければ、仏法を聞くこともなく、弥陀の本願に救われることもないからです。弥陀の誓願を求め抜き、真の孝行をさせていただく身になりたいと思います。
誰彼問わず、皆で助け合う
富山県 親鸞会 会員 佐藤信一郎
「人間に生まれなければ、聞き難い仏法を聞けなかった」と知って初めて、人界受生の縁となった両親のご恩を思います。
そのご恩をたどりますと、両親にも各々の両親があり、そのまた両親があり、どこどこまでも遡ります。億兆で収まらない先祖の誰一人欠けても、私は人間に生まれられなかったのですから、先祖にも、親と同様のご恩があるのです。
また、私自身が無限に生死を繰り返しているから、生まれた数だけ親もあったのかと知らされ、ハッと驚きました。かつて私の親であり、兄弟であった有情は、70億どころでなく無限です。
異国に住み、顔を見たこともない人でも、赤の他人は一人もなく、世々生々の父母兄弟であることが、おぼろげながら分かり、『歎異抄をひらく』の5章のタイトル「すべての人は父母兄弟」をようやく読めた気がいたします。
「真の孝行とは?」と問い直した時、全人類が父母兄弟なのだから、「まず有縁を度すべきなり」、誰彼を問わず、皆で助け合って弥陀の本願を伝えねばならないとの仰せにうなずかずにおれませんでした。親鸞聖人の一言は底が知れません。
科学でも、結局分からぬ
アメリカ 親鸞会 会員 岡田 里美
大宇宙の真理・因果の道理は三世十方を貫いて、因縁が複雑に織り成す中で、永遠の生命は六道四生の迷いの世界を経巡ってきました。無始より限りなく生死を重ね、父母兄弟になっては別れを繰り返し、数え切れない有情と縁を結んできたのだと知らされます。
すべての人はいつの世か、父母兄弟であったのです。そして今、過去にそのような深い縁のあった人の中の、とりわけ仏縁深き人たちとともに「三世十方を貫く法」を聞かせていただいています。その厳粛な真実に身震いを覚えました。
英語通訳で聞法した主人は、「人間は科学の進歩により、随分多くのことを知りえたように見えるが、結局、本当に大切なことは分かっていないんだね」と、述べていました。
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