死んだら楽になれるのか
長野県 男性
「死んだら仏、死んだら極楽」「死んだら天国」と思っているのは仏教徒の一部とキリスト教徒、イスラム教徒だけだろうと思っておりましたが、
「死んだら楽になれると思っているのは全人類の信心」
と聞かせていただいたのが衝撃的でした。
死んだら無になると思っている人も、死んだら今の苦しみから逃れられると思っている人も、やはり根底には死んだら楽になれるという信心がありました。
ふと、ゲームの影響で生き返ると信じて死んでしまった子供がいたことを思い出しました。いろいろなことが縁となり、いつの間にか死んだら楽になれるという信心をもっていたとわかり、恐ろしくなります。
死んだら楽になれると無条件に信じているのはとても変ですが、みな変だと思っておらず、平然と生きているのもおかしなことです。
だからこそ、親鸞聖人が、5つのものが揃わなければ救われないと、ズバリ真実を教えられたことは驚きであり、まさに世界の光であると思います。
今後、「死んだら楽になれるのは本当か」と縁のある人に切り込んでいく一方で、わが身の後生はどうなっているのか、一大事があると善知識(正しい仏教の先生)方が叫ばれるがどうしてか、と踏み込んでいかねばならないと思いました。
自殺予告をする子供の心
福井県 男性
尊い人間に生を受けながら、自ら命を絶つ人は後を絶ちません。先ほども、いじめを苦にした自殺予告の手紙が文部科学相あてに送られてきたと報じられていました。
前代未聞の出来事に、役所は対応に追われ混乱する姿が手に取るように分かります。おそらく〝いじめ〟にスポットが当てられ、対策に本腰が入れられることでしょう。
それはそれで大切なことですが、いじめを完全になくすことなど不可能ですし、いじめさえなくせば全て解決するという単純な問題でもありません。
自殺を予告するというのは、裏を返せば救いを求めていることの現れでもありましょう。つらくても生きていかねばならないのは何故か。真に求められているのは、この答えであり、人間の存在意義が問われているのだと知る人はどれだけあるでしょうか。
更に、問題の本質を捉えることができても、肝心の答えを見出せる人はどれだけいることでしょうか。 考えれば考えるほど、こうして2000畳にて親鸞聖人の教えを聞くことのできる身の幸を喜ばずにおれません。
あっという間の2日間