人生の曲がり角(後編)
娘よ、おまえから聞きたいんだ
関東 梶原一郎さん
(前編はこちら)
叔父の葬儀が終わり、妻と娘と3人、レンタカーで福岡空港へ向かった。
娘が家を出て以来、3人そろうのは久しぶりだった。娘の言っていた幸せとは何なのか、聞いてみたくなった。
「仏教の仏って何なんだ?」
娘はびっくりした顔で、さとりの52位から仏法の目的までスラスラ答えた。そんなに真面目に学んでいたのかと内心、驚いた。
仕事一筋の自分にはない輝きが娘にあった。
空港へ着き、ダイニングバーで夕食を取った。黒を基調とした店内に、オレンジ色のライトがシックな雰囲気を醸し出す。
いちばん奥のテーブルで娘と向かい合った。
注文を済ませ、うつむき加減に言った。
「自分の言動がいろんな人を傷つけてきたと、最近ようやく気がついた。おまえたちにもつらい思いをさせた。本当に反省している」
窮地に立たされた今、家族だけが頼りだった。
「おまえの聞いている仏教は、こういう私でも幸せになれる教えなのか……」
顔を上げると娘の顔がにじんで見えた。
娘はハッキリと答えた。
「なれるよ」
その瞬間、こらえていたものが堰を切ってあふれ出た。
「じゃあ、聞かせてくれないか。おまえから聞きたいんだ」
芽生さんは信じられないという顔をした。
「善い種まけば善い結果、悪い種をまけば悪い結果。まかぬ種は生えぬ。
でも、まいた種は必ず生えるんだよ、お父さん」
食事もそっちのけで話し始めた。娘の口から話される因果の道理が一つ一つ心に刺さった。
思いどおりにならないとすぐ腹を立て、人の心を傷つけた。
揚げ句に娘も家から追い出し、悪い種ばかりまいてきた自己を突きつけられた。
「すまなかった。父さん、今から変わるからな」
ずっと鎧を着けてきた一郎さんが、初めて鎧を下ろした瞬間だった。
父を恐れ、壁を作り続けた芽生さんだったが、初めて「お父さん」と思った。
肩を震わせ泣いた。
横で聞いていた妻の典子さんも、ハンカチで目を押さえ続ける。
水をつぎにきたウエートレスが、驚いた様子でその場を離れた。
これから仏法を聞いていく、そして家族を大事にしていこうと約束し合った。
「温かい集まり。とても居心地がいい」
昨年5月、家族で初めて親鸞会館に参詣。
娘と歩くと、会う人、会う人が、笑顔で声をかけてくる。初対面でも懐かしく、「よくご参詣になられました」の言葉が心地よい。
修羅場をくぐり抜けた仕事人生に、損得を離れた人間関係はなかった。
だが、親鸞学徒の集まりに打算は感じられない。
「こんな温かい集まり。とても居心地がいい」。思わず、そう漏らしていた。
朝の勤行が始まると、響きわたる『正信偈』が全身を包み込む。この集まりに入りたい。そう心が叫んでいた。
自他ともに認める凝り性で、中途半端では気が済まない。いったん心が決まると、徹底して学び始めた。
2日間有休を取り、親鸞聖人のアニメを何度も見た。
涙をふくのに、ティッシュが一箱なくなった。
朝晩、勤行は欠かさず、高森顕徹先生の著書なども求めた。
疑問点はメモに書き、娘が帰宅するや、質問攻めにした。
静まり返っていた家庭に、仏法の花が咲いた。
苦しい時、助けてくれたのは……
人生は、会社と金がすべてではない。
そう知らされた時、今まで見えなかったものが見えてきた。
「家族をオレが養っている、そんな考えは間違っていた。苦しい時、助けてくれたのは女房と娘だった。それに気づけただけでも有り難い」
新たに仏壇を購入し、正御本尊を申請、8月には遷仏会を行った。
さらに月に1度、親鸞会の講師を招き勉強会を開く。夢でも見ているのではないか、妻と娘は顔を見合わせた。
仏壇の横には、知人からもらった掛け軸が一幅。
そこには「遠慶宿縁(遠く宿縁を慶べ)」と書かれてある。
親鸞聖人の主著『教行信証』の聖語である。
「聞法して初めてこの意味を知りました。立て続けの苦難の波も、すべては阿弥陀さまの厳しい善巧方便だったんだと今は思えるんです」
(おわり)
(プライバシー保護のため、個人名は仮名にしてあります)