老い・肉体という牢獄(前編)
「生きる意味、なかった気がする」
竹崎法子 さん
「毎日、山ばっかり見ているのよ」
その80代のA婦人は、遠い目をしてポツリと言った。
10年前、脳梗塞で倒れて以来、右半身が動かない。テーブル炬燵のリクライニング付きの椅子に座り、終日、窓の外を眺めている。
同じ姿勢のままでは床擦れに似た症状が起きるため、1時間置きに部屋の中を壁伝いに歩く。一人では外へ出られない。
鎖につながれたのでもない、厳しい規律があるのでもない。
だが老いは、自身を肉体という〝牢獄〟に閉じ込める。
夫に5年前に先だたれ、心安い友達も皆〝旅立った〟。電話をするにも耳は遠く、テレビも見飽きた。することのない1日は果てしなく長い。
2世帯住居の裕福な家庭だが、長男夫婦とは完全に仕切られ、食事を運んでくる以外、顔を見ることもない。
「家族の迷惑にならぬよう、1日でも長く元気でいないとね」
言葉とは逆に、老婦人の瞳に、光はなかった——。
尊厳とは程遠い終幕
竹崎さんは大学を卒業後、父親の経営する老人福祉施設に就職した。
相談員として、高齢者とその家族の希望を調整し、それぞれの家庭に応じた介護計画を立てるのが役目である。
「最後まで尊厳のある生き方を」。それが理事長でもある父の理念だ。
しかし要介護高齢者の家を訪問するたび目にするのは、家族のエゴがむき出しとなった、尊厳とは程遠い終幕だった。
ある独り暮らしのB婦人を訪ねた時のことである。
その婦人は以前、造園業を営む長男夫婦と同居していた。嫁との折り合いが悪く、次男の家に移ったが、その次男が亡くなり、一人になった。
長男夫婦の家に戻りたいと言ったが、嫁の強い反対で見送られたままである。
年とともに体力は衰え、炊事、掃除、洗濯もままならず、次第に家は荒れ、汚れていく。
だれの目にも介護が必要だった。
話し合いを持つため、竹崎さんと長男の嫁が、老婦人の家を訪ねた。
嫁がお茶を出そうと台所に向かった。流し台には使った食器が山となっている。
「あーあー」。何やらぶつぶつ言う声が聞こえる。
おばあさんはテーブルにあった菜切り包丁を握り締めた。
「これで刺してやろうかと思う……」
おとなしいBさんの口からとは思えぬ言葉だった。
話し合いは淡々と進んだだけに、余計、不気味に感じられた。
後日、竹崎さんは、嫁と二人で話す機会を得た。
「薄情な嫁、と義母は近所に言って回っているようだし、そう思われていると思う。でも私はこの家で目一杯やってきた。夫の仕事を経理で支え、乳飲み子を抱え本当に大変だった時、あの義母は何もしてくれなかった。今になって世話をしろだなんて……」と涙ぐむ。
「生きるのって本当に大変」
嫁のその言葉が胸に刺さった。
励ます言葉がない
高齢者介護による心身の疲労で、それまで良好だった家族の人間関係がギスギスし、虐待、共倒れに至るケースもある。
そうならぬよう対処するのが相談員の仕事だ。
しかし、高齢者介護には高い費用がかかるうえ、家族の自由も奪われる。
しかも人生50年といわれた時代から80年となり、昔より介護期間が長くなった。将来ある若者と違い、死を待つばかりの高齢者に、家族の対応は次第に冷たくなっていく。
介護家族の悩みを打ち明けられても、励ます言葉がないのが実情だ。
救いのない話に、聞いた側も苦悩する。
職員も、適当に相槌を打つか、仕事と割り切り、規定どおりの介護で済ませてしまう人が多い。
介護の根底にある問題
若い時は、人は楽しむために生きている、と考える。できるだけ楽しめば、それで十分いい人生ではないかと。
だがその思いは、やがてふりかかる〝老い〟の現実に裏切られる。
「生きる意味なんてなかったような気がする」
終日、部屋から山ばかり見ているという前述のA婦人はそう語った。
なぜ生きる?
介護の必要な家を訪問するたび、その問いかけが頭の中をグルグルと回り続ける。
介護の根底にある問題は、生きる意味の分からない者同士が生きている、そこに行き着く。
竹崎さんは身をもって感じた。
学生時代に聞法していた時には分からなかった「なぜ生きる」のリアルな重みであった。
親鸞学徒の介護職員としてできることは何なのか。就職して1年目、そう自問するようになっていた。
(後編につづく)
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