「木像よりは絵像、絵像よりは名号」
加速する御名号本尊への流れ
福井県 西原勝一さん
蓮如上人のお勧めに即断
「他流には『名号よりは絵像、
絵像よりは木像』というなり」
「当流には『木像よりは絵像、
絵像よりは名号』というなり」(蓮如上人御一代記聞書)
「やはり、そうでしたか」
親鸞会の講師の説明に西原勝一さん(80代男性・仮名)はつぶやいた。蓮如上人の「当流には『木像よりは絵像、絵像よりは名号』というなり」のお言葉から、「真宗の正しい御本尊は御名号です」と聞かされたのである。
すっくと立つと、お仏壇を開き、「うちのは絵像やから、あかんね。御名号に替えないと。以前読んだ本にそうあったので、気にはなっていたのですが」。
金襴でできたその絵像は、父が大事に求めてきたものである。近所の人からも「立派やねぇ」と褒められ、西原さん自身、誇りに思っていた。
だが、「信心決定を求める人に勧められた蓮如上人のお言葉でしょ。そのとおりに実行しないと」と言い、その場でお仏壇用の正御本尊を申し込み、親鸞会に入会することを決意した。
寺の世話役を10年以上務めていた西原さんが、親鸞会で本当の親鸞聖人の教えと出遇ったのは、平成19年5月だった。
「信心を決定せずは、今度の報土の往生は不定なり」
(信心決定しなければ、阿弥陀仏の浄土に往生することは絶対できない)の蓮如上人のお言葉に、だれでも死ねば極楽へ往けると信じていたのが壊された。
どうすれば信心決定できるのか、いても立ってもおれなくなり、手紙を送って、仏教の小冊子を数冊おくってもらった。
それを読むと、親鸞聖人の教えでは、阿弥陀仏以外の諸仏・菩薩・諸神には、後生の一大事を助ける力がないから仕えてはならぬとあった。
また、蓮如上人が『御文章』に繰り返される「弥陀をタノメ」の「タノム」の意味が分からない。「弥陀を信ずる・あて力にする」とあったが、どういうことか。
その答えを知ろうと、寺へ向かったが、住職は「そんなに心配しなくてもいいんじゃないですかね」の一言。
「あぁ……。こりゃあかんな、何よりも心配しなきゃならんものが後生なのに」
がっかりした西原さんは、疑問を再び手紙にしたためた。
返信には、近くの親鸞会主催の講演会の案内状が同封されていた。真剣な聞法の集まりのあることを知り、大喜びで会場に向かった。
到着するや、最前列に座り、
「『弥陀タノム』と『雑行』の意味を教えてください」。
その真剣なまなざしに会場にいた親鸞会の講師は、堰を切ったように話し始めた。
「『弥陀をタノム』とは、阿弥陀仏に一切まかせ切るということで、雑行雑修自力の心がすたったことをいいます。しかし、その雑行は自分で棄てることはできません。親鸞聖人のみ教えを、真剣に聞法してください」
それから半月後、親鸞会館の2000畳大講堂に西原さんの姿があった。
※ ※ ※
「親鸞会に巡り遇えばこそ、正御本尊をお迎えできました。妻とともに光に向かわせていただきます」
(名前は仮名にしてあります)
解説
認めざるをえない御名号本尊
親鸞聖人、蓮如上人のご教示どおり、本尊は御名号にすべきである。木像に固執する現在の真宗に、親鸞会は覚醒を促し続けてきた。
それに対し「木像・絵像・名号のどれでもよい」だったのが、ここ数年変化が起きている。
その一つが、平成15年3月に放映された「NHKスペシャル・西本願寺の名宝」である。「南無阿弥陀仏。この六文字が本尊である、と親鸞聖人は説かれた」と、番組中のナレーションで語ったのだ。西本願寺の協力で制作されているから、当然彼らは認めたのだろう。
木像・絵像は祖師の御心ではない。そのこと教えに詳しい学者なら気づいていたことだ。
昭和初期、勧学寮頭を5期16年務めた梅原真隆氏は自著の中で、『改邪鈔』『慕帰絵詞』などを引き、親鸞聖人が御本尊とされたのは御名号と断定している。祖師の御心と異なる現状を、「遂には名号は傍らに安置されるような傾向さえあらわれ、(略)これは一宗を護持すべき宗徒として三省すべきであると、ひそかに思案をめぐらせている」と嘆く。
平成5年1月10日号の『本願寺新報』で、武蔵野大学教授の山崎龍明氏は、「一般に本尊といえば、形にあらわした形像本尊が中心で、それ以外は考えられなかった。しかし、親鸞聖人は名号をもってご本尊にされた。この意義は大変大きなものがあります」とし、その根拠を「み教えの本質にかかわる理由があったと考えています」と述べている。
親鸞聖人が御名号を本尊となされたのは明らかな以上、親鸞会の度重なる指摘に、西本願寺もついに宗制(最高法規)の御本尊の規定を「阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)」と改めざるをえなくなったのだ。
今後、真宗門徒が続々と御名号本尊をお迎えすることによって、親鸞聖人・蓮如上人のご教導どおりに、浄土真宗の流れは加速して変わっていくだろう。