家族再生 〈第2回〉 家庭悲劇が笑顔に転じて(最終回)
【前回までのあらすじ】
倉吉家の長男・賢治が荒れ狂い、家庭は崩壊の危機に。だが恵まれた仏縁が、悲劇をハッピーエンドに転じた。
世界が生き返った
〈賢治の告白〉
私は、本気で自分が世界でいちばん不幸と思っていました。常に心の中に満たされないものがあり、得体の知れない不安・焦りに苛まれていたからです。友人と遊んでいる時や、好きなゲームをしている時、一時的な満足はあっても、
「おまえ、それで楽しいのか?」と、常に自分を客観視する冷たい自分がおり、何をやっていても心の底から没頭できないでいました。
「アフリカの難民のように食事に不自由したり、学校に通えないということはない。でもこの虚無感はどうだ?空しさはなんだ。結局幸せの度合いは、心の状態で決まるのだから、こんな心では幸せになりようがない。オレは一体、どうしたらいいんだ」
と、自問自答を繰り返しました。
「もし、ほんまに神サマがいるんなら、どうしたらいいか教えてくれ!たのむから!何でもするから!」
と、本気で叫んでいました。
仏法を聞き始めたのも、この心を変えることができるのではという期待からでした。初めは、人間のつくった一つの考えと思って聞いていたのですが、先輩の言葉に衝撃を受け、ハッキリするまで聞こうと決めたのです。
それはこんな質問から始まりました。
「ある人の話なんだけど、手足がなくなって、目も見えず、耳も聞こえなくなって、でも命はあるねんな。もし君がこんな状態になったらどうする?」
「そんなふうになったら自殺しますよ。だって、生きてる意味ないじゃないですか?」
すると先輩は、
「こんな状況になっても、達成しなければならないのが人生の目的や。そして、達成できるんや」。
私は、「は?何言ってるんですか?そんなことあるはずないじゃないですか!」と反論したものの、そこまで断言するからには何かある、と思ったのです。
先輩の断言は、親鸞聖人の教えに根拠がありました。
親鸞聖人の断言は、まことの教えをご自分がハッキリ体験されて、断言されているのだということが分かりました。
オレの人生は、こんな意味があったんか。
仏法を聞き、人生の目的を知らされてからの私の心は、180度転換しました。すべてのことが意味を持ち、死んでいた世界が生き返ったような感じです。後生の一大事の解決までは至らずとも、心の底より救われた思いでした。もし、過去の自分が今の私の心を見たら、「えっ?何でそんな心になれたの?」と驚くことでしょう。
しかし、続けて聞法させていただくと、つらくてたまらないことがありました。それは、家族に僕がしてしまった行いです。知らなかったからとは言え、親には「おれを何で生んだんや」とまで言ってしまった。兄弟にも迷惑をかけてしまった。このような自責の念で押しつぶされそうになりましたが、とにかく仏法伝えるしかないと、ひたすらその日聞いてきた話を伝え、ご法話に誘いました。
今では母と妹も親鸞学徒です。昨年の報恩講には弟も参詣しました。ものすごくうれしかった。こんなことは昔の僕たちの関係ではありえませんでした。
冷え切っていたわが家に明かりが灯りました。しかし、飽くまでも仏法を聞く目的は、後生の一大事の解決です。最も大切なこの目的を、弟と、そして仕事熱心な父にも伝えたいと思います。
(完)
※人物はすべて仮名です。