両親との問答
愛知県 男性
私の友人は、「親鸞学徒になって本当によかった」と心から喜んでいました。
これからも、ともに、光に向かって進ませていただきます。
また、初めて両親が両日2000畳へ参詣しました。
帰り道、父から「なぜ浄土真宗なのか」「先生の教えではないか」「弁論に出ている人は、阿弥陀仏のおかげですとよく言っているが、自分というものを信じられないのか。私は、自分を信じている」と、質問されました。
仏法を伝えるよい機会と思い、車中一時間、話しをしました。
宗教とは、信心とは何か。
やがて必ず崩れるものを信じていても決して幸せにはなれない。そんな人を見捨てることはできない。だから、正しい信心を獲得され、勧められたのが親鸞聖人であること。
誰も知ることのできなかった生きる意味、「なぜ生きる」の答えが、親鸞聖人の教えに明らかにされている。それを正確に伝えて下される方だから、高森先生を多くの人が尊敬するのであって、あくまでも正しい信心を獲得して救われるということ。先生の教えというものは、全くないこと。
果たして自分が信じられるようなものなのか、真実の自己とはどういうものか。自分の力で本当の幸福になれるのか。
石は水に沈むが、そのままで、船に乗せれば浮かばせることができる。その船が弥陀の本願であり、それ一つをお釈迦様は仏教に説かれたのだということ。
例えるなら、病にかかっている私に、病を治す医者と、薬を紹介されたようなものだよ、と話をしました。
両親はただ黙って、時おり質問してきましたが、親鸞聖人の教えに、納得していたようでした。話している内容の素晴らしさに、私自身が身震いしてしまいました。
最後、別れ際に両親は、「楽しかった、本当に良かったよ」と言ってくれました。
本当のことを知らず、死ねば楽になれると思っている人がほとんどです。
人生の目的を知らされたことの重さを痛感いたしました。