会社人間で終わりたくない
再び聞法道場へ
灯は、小さく燃えていた。灰に覆われた火のように消えたと思えた仏法を聞こうという心が、法友の勧めを縁に再燃した。
久しぶりに親鸞会館を訪れた村井さん(仮名=45歳・男性)は、2000畳の壮大さに目を奪われた。
「長い空白の間に、親鸞聖人の教えはこれほど多くの人に伝わっていたのですね」と、彷徨し続けた12年間を振り返った。
仕事の苦労は報われるのか
一般に、仕事は男との人生で大きな比重を占める。
「でも40も過ぎると、そんな会社人生の先が見えてしまうんですよ」
大学時代、親鸞会で親鸞聖人の教えを聞くようになり、昭和62年、大手化学企業に就職。最初は、研究職だったが、30代半ばに営業へ回された。持ち前の人当たりの良さ、責任感の強さから、どんどん仕事を任され、出張で全国を飛び回るようになる。それに伴い、聞法しようにも出来ない、しがらみの中へ追い込まれていった。
ころはバブルの絶頂期。毎晩のように繁華街での接待に明け暮れ、1次会、2次会、3次会が当たり前。毎日が熱に浮かされたようだった。深酒が重なって、土日は完全休養しないと体がもたない。
生活は乱れ、親鸞会での聞法どころか、朝夕の勤行も出来ないようになっていた。
「自分には、もう仏法を聞く縁はないのか。自分が聞き求めていけるような世界ではないのかもしれない……。」
半ば投げやりな、あきらめが心を覆った。
品質管理の部署に就くと、さらに仕事は忙しくなっていった。製品に欠陥があると、昼も夜もなく、土日も会社に詰めて問題解決にあたる。
あまりの激務に精神を病み、辞めていく同僚たちもいた。
営業での知識や経験は、ここでは何の役にも立たない。
今までやってきたことは何だったのか?砂をかむ思いでだくだくと仕事に向かうしかなかった。
成果主義、実績主義の会社の指示に従い続ける人生とは何なのか。苦労は本当に報われるのだろうか?
聞かせていただける今こそ
そんな疑問と、このままでは会社に〝人間〟をつぶされる危機を感じ、平成18年1月、営業で知り合った中小企業の社長を頼って転職を図った。
再就職先で、ようやく仏法を聞くゆとりが生まれた。だが12年間のブランクは、「聞けばよい」と分かりつつも素直に足を聞法会場へ向かわせなかった。いつも手紙を添えて送られてくる親鸞会発行の『顕正新聞』も読まずに畳んだ。
そんなある日、大学時代の友人、宮坂さん(仮名)が村井さんのマンションを訪れる。約2時間、昔話が大半だったが、家族4人で仲良く聞法している宮坂さんの姿がつくづくうらやましく思えた。
自分は、どこでどう人生の舵を切り間違えたのか。振り返ると後悔ばかりが残った。
もう一度、仏法を聞きたい。思いはふつふつとわき上がり、昨年の親鸞会館での報恩講を皮切りに、村井さんは人が変わったように聞法に足を運ぶようになった。
「前の仕事を続けていたら、金銭やステイタス(地位)という面では、今より報われたでしょう。でも、その先に幸せな結末が見えなかったのです。今こそ真実を聞き開かせて頂きたい。本当にもう後がないのですから」
今年の正月、宮坂さんから挨拶メールが届いた。村井さんは、新年の抱負を書いて返信した。
「毎月1回は必ず2000畳の正本堂へ参詣します。朝夕の勤行は必ず実行します。とたえ出張で外出していたも」
すぐに返信が来た。
「尊いことです」
画面の向こうに笑顔が見えた。