ある医学部生の体験
中島 志信(仮名)
先日、保健所実習の報告会で、自殺対策についての発表がありました。
「自殺を止めるには、悩んでいる人を早めに発見し、行政に相談してもらうべき」
というものでした。
私はいつも、くるしくとも死んではならぬ目的があると教えられた親鸞聖人の教えを知っているので、思わず
「悩み相談も大切ですが、そもそもなぜ苦しくても死んではならぬのか、知らせねばならないのでは」
と質問しました。
すると一瞬会場の空気が凍り、そのあと〝笑い〟が起きたのです。失笑というか冷笑というか、何とも言えないアキラメのにじむ笑いでした。
どうして?と思わずにおれませんでした。
どんなに周りが止めても、本人がなぜ死んではいけないのか判らねば、自殺は止まらないではないか。なぜ真剣に議論されないのか。
きっと、どうせ考えてもわかりっこないよ、というアキラメがあるのだと思います。
発表者からの回答は、
「なぜ死んではいけないのか、これだという答えはないでしょう。一人一人がこれを機会に考えねばならない問題だと思います」
というもので、これが限界なのかとも思いました。
医学部生にして然り。忙しい現場の医師なら、なおさらでしょう。否、社会を見渡しても人生の意義を明らかに説く人は皆無です。
病院には
「死にたい」
「なぜ生きるかわからない」
と漏らす患者が多くいますが、対する医師は口をつぐむか、
「今は病気なのだから休みましょう」
と言うしかありません。
生命の尊厳は、親鸞学徒が伝えなければ、だれも分かりません。
医師として実力を付け、なぜ苦しくても死んではならぬのかを、多くの人にお伝えしたいと思います。