上を目指してきたけれど
藤沢啓一さん(仮名)
親鸞聖人の教えと出会う前は、私は人が生きるのは欲望を満たすことと思っていました。
ある人はお金、ある人は社会的な地位とか、人によって様々です。
どんなモノであっても、どれだけ効率良く欲をみたすか。人生と言っても、これ以外にはない、と思っていました。
人一倍負けず嫌いな私は、人の上に立てば満足できると思っていました。
同じ理由で、小中高とサッカーをやり続けました。
サッカーの腕前は、下手な方でしたが、それを人から言われるのが嫌いでした。
下手くそと言われたくないから、一生懸命練習し、ある程度上達をすると。
次は、レギュラーに選ばれなかった悔しさからまた練習する。
レギュラーとなり、試合にでれば試合に勝てないからもっとまた練習する。
つらいトレーニングを続けられたのは、人に負けるのが嫌で、勝って上に上がりたかったからです。
大学の工学部に進んだ理由もただ人より上に、人より先に行けると思ったからでした。
人に負けた時の苦々しさは、私にとって言葉に表せないほどです。苦しさに耐えて打ち込むのは上にいくため。
より上に、上に、という自分の欲望を満たしていく。そのために生きているのだと、全く疑ってもいませんでした。
しかし、親鸞会で本当の親鸞聖人の教えを聞くようになり、人より上に立つことができても、立つことで得られる心地よさは、いつまでも続かない、やがて苦しみに変わる。
苦しみの原因は、己の暗い心にある。
その暗い心とは、何のために生きているのか、人生の目的が分からない心のことで、その生きる意味をはっきりさせて、〝よくぞ人間に生まれたものぞ〟と生命の歓喜を得ることが人生の目的だと、知りました。
そうだったのか!私が今まで苦しんだ原因は「なぜ生きる」のか分からなかったからなのか!
ビックリするのと同時に、たしかにその通りだと思わずにおれませんでした。
親鸞会を紹介し、親鸞聖人の教えとご縁を持たせてくれた方々に感謝し、光に向かって進ませて頂きたいと思います。