凄いことを聞いていたんだ
愛知県 大森一俊
昭和56年、大学に在学中、親鸞聖人の教えとのご縁を結ぶ。大学時代は多くの法友に恵まれ、朝から晩まで仏法と学業に明け暮れた。
卒業後、電気部品製造会社に就職。
30歳を過ぎたころより仕事の責任が重くなり、そのうえさらに仏法を聞くことに無理を感じた。「もうやめたい……」。心の中の糸が切れた。
以来、休日には会社の上司と飲み歩き、遊びにお金を湯水のごとく使った。仏法を忘れようと必死だった。
衝撃的な死
だが、いつもおごってくれた上司が、やがて金をせがむようになる。
貸せば大概、踏み倒された。何度も催促して、ようやく返してもらったこともある。
「借りる時の恵比須顔、返す時の閻魔顔」。かつて説法で聞かされた、人間の本性についての話が思い出された。
気まえよく見えた上司も、結局、名誉のために、皆にいい顔をしてみせただけで、実態は違っていた。
夜勤もある仕事はきつく、休日は、高校時代の友人と一緒に過ごすようになる。夜遅くまで3人で酒を飲んだ。
友人の1人が酒を飲みながら「足が痛い、のどが渇いた」とたびたび言ったが、その時はあまり気にも留めなかった。
やがて友人は、糖尿病から余病を併発し、医師より、足を切断との宣告を受ける。
その数日後だった。出勤して来ないのを案じた同僚が家族に電話をすると、新築したばかりの家で、彼は首をつっていた。
それ以来、飲み友達と店に行っても、お通夜のようにシーンとすることが多くなった。
半年後、なじみの店のママから、携帯電話に着信があった。
「話があるので、いつでもいいから来てください」
いつもとは違う、強い口調に、夜10時過ぎ店を訪れた。
ママさんから、勤めていた女性の死を聞かされた。彼女はお風呂で手首を切って自殺していた。元気だった時の姿がまぶたに浮かぶ。まさか自殺するとは思わなかった。
原因は金銭トラブルらしかった。
もともと、金遣いが荒く、ママさんに何度もお金を借りてはすぐ使い果たし、最後は無一文になっていた。
なぜ伝えなかった
「なぜ自分は、彼らに仏法を伝えなかったんだ……」。自責の念がつのった。
飲み屋からの帰り道、足取りが重かった。乗っていった自転車を、のろのろと押して帰った。
1人、家で茫然とした。
本棚に掛けられた額の高森先生のお言葉が、ふと目に留まった。
「真実の仏法者にとって、命かけて護らねばならぬものは(中略)ただ、釈尊出世の本懐である、一向専念無量寿仏と、その布教だけである」
これまで聞かせていただいていたことの重みを感じた。
本屋へ行き、『なぜ生きる』と『歎異抄をひらく』を求めて拝読した。
「どんなに苦しくてもなぜ生きる──。実は、自分はすごいことを聞かせてもらっていた。全然分かってなかったんだな」と思った。
自分と向き合う
昨年5月、再び聞法精進することを決めようと、比叡山に登った。
親鸞聖人の求道の出発点となったゆかりの地である。
アニメ『世界の光・親鸞聖人』にも描かれていた、聖人の真剣な求法のお姿が髣髴とした。
自分に本当に再スタートが切れるのか?聖人も眺められた琵琶湖の水を、じっと見つめ続けた。挫折したかつての自分とやっと向き合うことができた。
眼下に広がる琵琶湖の青さが、目にしみた。
今度こそ人生の目的達成に向かって生きよう。決意を固めた。
愛知担当の親鸞会講師に電話をして、ご法話の日程を確認する。昨年6月、富山の親鸞会館へと向かった。
眼前に初めて仰ぐ正本堂。声が出なかった。離れていた15年の間に、真実の教えは驚くべき勢いで広まっていた。
それから毎月参詣を欠かさない。
「長いブランクも阿弥陀仏のご方便だったのだと思います。会社の人間関係の苦しみも仏説まことを知らされるご縁となりました。今までもったいないことをしていました」
(プライバシー保護のため、個人名は仮名にしてあります)