子供たちに生命の尊厳を
茨城県 男性
最近、小中学生の自殺が相次ぎ、命の大切さを訴えるはずの校長さえも自殺してしまうニュースが報じられています。
自殺を考えたことのある子供から理由を聞いてみると、いじめの苦しみから逃れたいからという声もあれば、ひどいものになると「いじめたクラスメートへの復讐だ、彼らのせいにして死ねばきっと困るだろう」という理由で簡単に命を絶っています。
子供の6割が「死んだら生まれ変わる」と思っているそうですが、死んだらどうなるかわからない無知から、自ら後生へ飛び込んでしまうのでしょう。
お釈迦様が、自殺をしようとした一人の娘に諭された、車を壊した牛の話(※参照)は、とても衝撃的な話です。死ねば楽になれると信じてのことなのに、楽になれるどころか、もっと苦しい世界に飛び込まねばならない、なんて。
死んだら誰でも極楽に往って仏に生まれるのではない、5つのものが揃わなければ絶対に救われない、という親鸞聖人の教えは、すべての人が聞かねばならないことでありますし、将来教育界に飛び込もうとしている私にとって、子供たちにこの生命の尊厳を伝えたいと確認させられたご縁でした。
科学の力で環境問題や技術開発など、より良い生活への取り組みがなされる世の中になっても、〝人生苦なり〟の本質は変わりません。
いよいよ荒廃した教育界に飛び込みます。「生きる意味」「命の本当の価値」を伝えられる教師になりたいと思っています。
自殺する娘を止められた、お釈迦様のたとえ話
ある時お釈迦様が托鉢中、大きな橋の上で、辺りをはばかりながら一人の娘がしきりと袂へ石を入れている。自殺の準備に違いない、と早速近寄られ、優しく事情を尋ねられると、娘は心を開いてこう打ち明けた。
「お恥ずかしいことですが、ある人を愛しましたが、今は捨てられてしまいました。世間の目は冷たく、おなかの子の将来などを考えますと、死んだほうがどんなにましだろうと苦しみます。どうかこのまま死なせてくださいませ」
と、娘はよよと泣き崩れた。
その時お釈迦様は、まことに哀れに思われ、こう諭されている。
「そなたには、例えをもって教えよう。ある所に、毎日、重荷を積んだ車を朝から晩まで引かねばならない牛がいたのだ。つくづくその牛は思った。なぜオレは毎日こんなに苦しまねばならぬのか、自分を苦しめているものは一体何なのかと考えた。そうだ!この車さえなければオレは苦しまなくてもよいのだと、牛は車を壊すことを決意した。
ある日、猛然と走って、車を大きな石に打ち当て、木っ端微塵に壊してしまったのだ。
ところが飼い主は、こんな乱暴な牛には、頑丈な車でなければまた壊されると、やがて鋼鉄製の車を造ってきた。それは壊した車の何十倍重さであった。
その車で重荷を同様に引かせられ、以前の何百倍も苦しむようになった牛は、深く後悔したが後の祭りであった。
そなたはこの肉体さえ壊せば楽になれると思っているのだろうが、死ねばもっと苦しい世界へ飛び込まなければならない。それは、この世のどんな苦しみよりも大きな苦しみなのだよ」
娘は、初めて知ることに驚き、その後仏法を聞くようになって、幸せな生涯を送った。