50周年大会参加者の声
親鸞学徒に孤独なし
大分県 Sさん
50周年大会での高森先生のご講演の中で、親鸞聖人の御臨末の御書のお話を聞かせていただきました。
「我が歳きわまりて、安養浄土に還帰すというとも、和歌の浦曲の片男浪の、寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ。
一人居て喜ばは二人と思うべし、
二人居て喜ばは三人と思うべし、
その一人は親鸞なり。
我なくも法は尽きまじ和歌の浦
あおくさ人のあらんかぎりは」
「親鸞、いよいよこの世の終わりが来た。一度は弥陀の浄土へ帰るけれども、寄せては返す波のように、すぐさま戻ってくるからな。1人いるときは2人、2人の時は3人と思ってくだされ。うれしい時も悲しい時も、決してあなたは1人ではない。いつもそばに親鸞がいるからね」
親鸞聖人はどこにおられると思いますか? 喜んでいる時だけではない、苦しんでいる時、悲しんでいる時、いつもそばにいるからね、とおっしゃっているとお聞きし、常に如来聖人とともにある身の幸せをかみしめずにおれませんでした。
そういえば、親鸞会とご縁があって、仏法を求めて、苦しいと思うことはあっても寂しいと感じたことはありません。私が気づかないだけで、本当に親鸞聖人がそばにおられる、まさに「親鸞学徒に孤独なし」なのだと思いました。
50の船出、とは何とありがたいお言葉でしょう。
今から船出なのだ、頑張りなさい、と励ましていただき、そして、やるぞ!と勇気が出てきました。
親鸞聖人がいつもそばに
宮崎県 Nさん
4月から教員となり、苦しいこともたくさんありました。そのたびにくじけることなく一歩踏み出すことができたのは、「一人居て喜ばは二人と思うべし、二人いて喜ばは三人と思うべし」とおっしゃる親鸞聖人がそばにいてくださったからと思います。無限の波動のごとく、衆生済度を繰り返される親鸞聖人のご恩徳に、報わせていただきたいです。
今は喜ばずにいられない
埼玉県 Iさん
親鸞会結成50年の今年、その20年近くが、私が生まれる前のことです。出生前からの親鸞会の躍進を知ると、
「生まれてきた目的」は、オーバーな表現でも、単なる形容詞でもなく、紛れもない真実と痛感いたします。
とはいえそのような生命の意味も、親鸞聖人の決死のご布教がなければ知りえませんでした。ずっと死と後生への絶望的な思いに懊悩し、孤独な心をひた隠しにして生きてきました。その絶望的な苦しみも、今は、後生の一大事を知らせ、親鸞聖人の教えにあわせんがための弥陀のご方便だったと喜ばずにおれません。
報恩の道を思う
富山県 Iさん
平成17年の2000畳正本堂落慶法要の感動は、式典の豪華さ、驚き、喜び、情熱、一体感、興奮、熱い涙、今でも鮮明に思い出させるドラマチックなものでした。
ところが今回、同様の記念行事を想像していた期待は、ものの見事に誤りだったことを知らされました。
50周年大会は、親鸞聖人報恩講以外の何ものでもなく、報恩のための大会であることを説き示してくださり、統一テーマ、サブスローガンをはじめ、50周年大会だけでなく、親鸞会の結成、存続、発展そのものが、報恩の道を指し示したものであることに気づかされました。
全日程を通して、静かで厳かな進行で、仏法の厳粛さを味わい、報恩の道に思いを巡らす勝縁となりました。