大草原の風の説法5
万人共通のもの ?生老病死?
大阪駅前のレストランで、彼女のモンゴル体験記を聞いていた私は、結局その〝風〟とは何だったのか尋ねてみた。
「うーん、それはあそこに行かないと分からないことかもしれません」
つまり、と彼女は言った。
「あの遊牧生活で、草原から世界を眺めると、今までの価値観が根底から揺らぐのです」
それは高学歴、高収入、会社の時価総額、セレブな生活、そういったもの?
「そう、学歴や地位が草原で何の意味があります?
パソコンも情報も、無くても何も困りません。なのに皆が価値があると信じると、本当に価値があるように思えて、それに人生を振り回される。現代社会といっても、それは一つの幻想の上に踊らされているように見えるんです」
確かに遊牧民と比べたら、現代人は無用のものばかり欲しがっているのかもしれない。
そういうことを理屈として理解している人はいると思うけど、体感したのなら、それはすごい、と言うと、
「だから〝すさまじい風〟と言ったんです」。
大川さんは、誤解がないように、と言って付け足した。
「別に私はモンゴル人の生き方がいいと言っているわけではありませんよ。ただ、現代文明というのも、人間の生み出した一つの虚構にすぎないと言いたいんです」
だからそんな社会の中に普遍的な人生の目的を求めても見つかるわけがない、と彼女は言った。草原は人を哲学者にするのかもしれない。
「以前、仏教も一つの考えだ、マインドコントロールだとか言われて動揺したこともありました。でも今は違うんです。そんなことを言っている人自身、仏教がどんなものであるか、よく分かっていないんじゃないでしょうか。自分の信じている価値が本当に確かなのか、誰かの言っていることを鵜呑みにしているだけではないのか、まずそこに批判の目を向けてほしいと思うんです」
そのとおりだと思う、と答えると、彼女は少し言葉を強めて言った。
「大草原の遊牧民であろうと、高層ビルの並ぶ文明社会で暮らす人々であろうと、全く変わらないのが、仏教に説かれる後生の一大事です。蓮如上人の『白骨の御文章』を読んで、モンゴルには当てはまらないような個所は一つもないのですから」
「それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、凡そはかなきものは、この世の始中終、幻の如くなる一期なり」
「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり』──。生老病死の人間の真実を教えた金言ばかりなのに、改めて胸打たれる。
「大草原の風を聞き、人生の目的が万人共通で唯一といわれる意味が、よく分かった気がするんです」
より仏教に確信を深めた大川さんは、留学中知り合ったアマルさんを親鸞学徒にまで導いている。でもそれは別の機会に書くとしよう。
レストランを出ると、大阪の街には夕闇が迫っていた。
「モンゴルからは日本がどう見えましたか?」
と聞くと、じゃあ今、高い所から見てみましょうよ、と駅前の高層ビル「ヘップ5」の屋上の大観覧車に乗ることになった。
頂点から見下ろすと、赤や緑、色鮮やかに瞬くネオンが果てしなく広がっている。
「わあ、モンゴルと反対。まるで地上の星ですね」。
彼女は笑った。
「親鸞聖人のみ教えを伝えて、元気な日本にしましょう」。
そう語り合い、観覧車を後にした。
※ モンゴル国……広さは日本の約四倍で、その大半
を大草原とゴビ砂漠が占める。人口は約二百六十万。
大阪市の人口とほぼ同じ。