親鸞聖人降誕会参詣者の声
「超世の悲願ききしより
われらは生死の凡夫かは
有漏の穢身はかわらねど
こころは浄土にあそぶなり」
(親鸞聖人)
降誕会に参詣された、親鸞会会員の声を、こちらに紹介いたします。
人智を超え
千葉県 住山 浩治(仮名)
現生十種の利益(※)は、一益一益が世を超えていて、そんな幸せに救うと誓われた弥陀の悲願はまさに「超世」、なるほどと思うことばかりでした。
弥陀や諸仏、冥衆(菩薩や諸神)から喜び護られる、大宇宙最高の宝と一体になる、十方諸仏から褒めちぎられる幸福を想像できる人がいるでしょうか。
ノーベル賞や金メダル獲得、出世など名声を求める心は皆ありますが、超世の悲願に比べれば、何とちっぽけなものだろうかと思います。
聖人のみ教えに出遇えなければ、必ず崩れる夢を追いかけ、一生を終えていたのかと思うと、真実知らされた身の幸をかみしめずにおれません。
また、救われたと聞くと、煩悩が減る、金が儲かる、病が治る程度の救いしか、人間は考えられません。聖人は、人智をはるかに超えた幸せを明らかにされ、これこそ真実と知らされます。
※現生十種の利益-弥陀に救われた人は、生きているときに十種の利益(幸福)をうるということ。
「金剛の真心を獲得する者は、横に五趣八難の道を超え、必ず現生に十種の益を獲る」 (教行信証信巻)
煩悩は枝葉
大阪府 東山 和美(仮名)
4行のご和讃の中に、思いもよらぬほど大変なことが教えられていて、驚きの連続でした。
特に、救われても煩悩は少しも減らないし、それどころか全く変わらないとお聞きし、ハッとさせられました。
煩悩は苦しみの枝葉でしかなく、阿弥陀仏は、その底の底にある無明の闇を破ってみせると誓っておられます。
しかし、「仏法を聞いたら、少しは欲や怒りの心が少なくなるだろう」と、私は煩悩ばかりを問題にしており、苦悩の真因が全く分かっていなかったと知らされました。
弥陀の救いはその程度のものではないと実感するとともに、聖人が「超世の悲願」とおっしゃった御心に深くうなずかずにおれません。
苦悩の根元を抜いていただくことは大変な幸せです。さらに現生十種の利益で教えられる幸せを頂けるとは、再度驚きを隠せませんでした。
気迫の理由
埼玉県 田上 拓郎(仮名)
「こころは浄土にあそぶなり」とは、現生十種の利益を獲た世界と、お聞きしました。
どれも素晴らしい大益ですが、中でも心に残ったのは諸仏称讃の益です。
親鸞聖人は、四方八方から非難攻撃を受けられましたが、大宇宙の仏方に褒められる身になったから、物の数ではないと全く問題にされず、真実開顕の90年の生涯を生き抜かれました。何というものすごい気迫でしょうか。
つまらない人間から悪口を言われても、食欲が落ち元気がなくなってしまいますが、聖人は全く逆で、甚だ意気軒高です。
諸仏称讃の益のほかに、9つの利益も頂くのですから、「こころは浄土にあそぶ」幸せは想像を絶します。こんな弥陀の救いが、ハッキリしないはずがありません。