無常を教えてくれた夫が、最も喜ぶこと|親鸞会
北海道 親鸞会 会員 水島 友美
夫は、就職先で初めて口をきいた先輩で、出会ったその時から、私は「この人と結婚する」と直感しました。職場から戻った夫が家のドアを開ける音が大好きで、この人に出会うために生まれてきたとさえ思える毎日でした。
長男が生まれると、父は毎日、車でやってきては連れていってしまうほど、息子をかわいがっていました。
しかしその父が亡くなると、息子は心のバランスを崩してしまい、家を出ていってしまったのです。1週間後、戻って来た時には、人が変わったようになっていました。家族に暴力を振るうようになり、それから私たちの苦悩の日々が始まったのです。
〈こんな息子になったのは、甘やかした父のせいだ〉と、私はずっと父を恨んでいました。
父への恨みが感謝に
家庭内の争いが絶えぬ中、8年前、妹は脳内出血で、続いて母が脳梗塞で倒れました。さらに弟も脳梗塞で亡くなったのです。
なぜこんなに不幸が続くのか。何をどうすればいいのか。絶望感に襲われ、私は立っているのがやっとでした。
夫に励まされ、いつも優しい言葉をかけてもらっていましたが、とうとう不眠症になってしまいました。
夫の寝顔を見ながら「この人がいなくなったら、私も後を追うしかない」という不安に駆られていきました。
そんな時、チラシを見て、親鸞会のご法話に足を運びました。「阿弥陀仏の救いは、苦しみの波の果てしない海に沈む私たちを、乗せて助けてくだされる大船である。人間に生まれた目的は、その船に乗って、絶対の幸福になることです」。阿弥陀仏の救い?大きな船に乗せていただける?そんなことがあるのだろうか。しかし、私が苦しみの海に沈んでいるのは間違いない。半信半疑ながらも、親鸞聖人のお言葉に引かれ、高森先生から仏教を聞かせていただくようになったのです。
すると、次第に、父への恨みは、生まれ難い人間に生を受けた感謝の思いに変わっていきました。
“幸福という善い運命も、不幸という悪い運命も、それは決して、他人から与えられるのではない。刈り取らねばならぬのは、自分のまいた種ばかり”とお聞きし、息子を受け止める気持ちになり、苦しみがスーッと引いていくようでした。
別れの言葉もなく
親鸞学徒となり、夫と一緒に同朋の里に泊まって二千畳へ参詣したこともありました。その後も、私が富山へ行くたび笑顔で送り出してくれましたが、今年5月4日、別れの言葉もなく、突然、夫は心筋梗塞で亡くなったのです。会者定離とはいえ、あまりにも情け容赦ない無常を前に、仏説の真実をかみしめずにはおれませんでした。
生死の苦海ほとりなし
ひさしく沈めるわれらをば
弥陀弘誓のふねのみぞ
のせてかならずわたしける (親鸞聖人)
ああ、親鸞聖人は、「苦しみの波の果てしない海に、永らくさまよいつづけてきた私たちを、弥陀の本願の大船だけが、必ず乗せてわたしてくださるのだ」と教えて下さっている。
身をもって無常を教えてくれた夫が、最も喜ぶのは、親子でともに親鸞聖人の教えを求め、真実の幸福を獲得させていただくことと知らされました。親鸞聖人のお言葉を心の明かりに、光に向かって進みます。
(※プライバシー保護のため、個人名は仮名にしてあります)