もっと『不都合な真実』
今年は暖冬で、世界各地で様々な異常気象が発見されているようです。そんなこともあってか、地球温暖化問題を訴えるアメリカの元
副大統領アル・ゴア氏の活動を追ったドキュメンタリー映画『不都合な真実』が話題を呼んでいます。私たちにとっても、地球は大事な資源。親鸞学徒は環境問題の本質をどうみているのでしょうか。2人に聞きました。
「環境に配慮した設計」をテーマに研究している川田登さん(仮名)は、「いつか文明生活と引き換えにしてでも、環境保全を求めら
れる日がくるでしょう」と断言する。「しかしその時、突きつけられる問いがあるんです」。その問題とは----。
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国連と科学者で作る「気候変動に関する政府間パネル」が平成19年2月まとめた報告書によると、地球の温暖化はますます加速しており、今世紀末までに地球の平均気温が最大で6.4℃上がると予想しています。平均気温が2℃を超えて上昇すると社会や生態系が壊滅的な影響を受けるといわれていますが、それを大きく上回る値です。
最近、新聞やニュース等でも「持続可能社会」や「サステナビリティ(持続可能性)」といった言葉をよく見聞するようになりました。温暖化に代表される環境変動によって、現状のままでは人類社会が破綻を来してしまうため、少しでも今の環境を持続できるよう努めていかねばならない、というメッセージが込められた言葉です。
しかし、温度上昇を2℃以下に抑えるには、二酸化炭素などの温暖化ガスの排出量を、世界全体で今の半分以下に削減する必要があるとされており、「冷房の設定を28℃にする」とか、「環境にやさしい製品を選ぶ」といった「ちょとした心がけ」では間に合わない現状です。
今後、温暖化が進展するに従って、今私たちが手にしている文明生活と引き換えにしてでも、環境を保全することがもとめられるようになってくるでしょう。
しかし、なぜそうしてまで、人類社会を存続させねばならないのか――。
環境への取り組みが痛みを伴うものになるにつれ、この本質的な問いが明らかにしてくるのではないでしょうか。ちょうど、「なぜ延命しなくてはならないのか」という医学界における問いと同じ構造が、人類全体にも当てはまるのです。
「〝如何に生き延びるか〟
人類の全知全能は、ここ一つに集中されている。
やがて滅びることをしりながら、生き延びることのみの営み、永久に介抱されない人類の悲劇は、そこにあると言えよう」
環境問題への取り組みも、まさに人類の〝如何に生き延びるか〟の営みですが、一人一人の人生に「なぜ生きる」の答えがなければ、人類全体を生かそうとする、それらすべての活動の意味も失われてしまいます。ここに明答を示すことが出来るのは、「生命の尊厳」「人生の目的」を知らされている親鸞学徒だけです。
この問題の重大さが認識されつるある今日こそ、「人が生きる目的」を、世界に発信する時ではないでしょうか。
「環境」と「利益」の矛盾
求められる「生」の哲学
K氏は、かつて経済産業省で企業の温暖化対策などを担当していた。日本企業の実情とは。
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1997年12月に採択された「京都議定書」で、二酸化炭素などの温室効果ガスを、90年比で、日本ではマイナス6%にまで減らすという目標が定められました。この達成のため、企業には温室効果ガスの排出量を開示することが求められています。
私は、主要会社のほぼすべてから、どんな対策をとっているか、詳しく聞いたり、環境省と業界の間にたって、様々な調整をしてきました。
難しいのは、国際競争をしている企業の場合、削減義務のない国の企業とくらべ、どうしても不利になることです。「環境」と「利益」、どちらをとるか、常に迫られるのです。環境対策を優先させるあまり、会社のコスト競争力が落ち、負け組になったらどうするか。さればといって、企業利益を追求するだけでは、自分たちの住む地球環境の悪化に拍車をかけるだけ。
結局、「なぜ生きる」という哲学的な問いにぶつかるのです。環境問題に徒陸も根本的な理念が求められていると感じます。
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「気候の危機に関する真実は、自分たちの暮らし方を変えなくてはならないという、『不都合な真実』なのである」(アル・ゴア著『不都合な真実』より)とゴア氏は言い、できることから実践しようと勧めます。地球は人類共通の財産ですからこの意見に多くの人は賛同するでしょう。確かに重要な課題です。
地球環境を保持しようとするのは「生き延びる」ためにほかなりません。しかし、「生き延びる」ことを破綻させるものは、突き詰めれば、環境破壊というより、「死」にあります。
だからどんなに素晴らしい地球環境を確保したとしても、私たちにとって、もっと「不都合な真実」はびくともしないのです。その真実を直視し、限りある命を何に使うべきか。人生の目的を知って達成することこそ、最優先されるべきでありましょう。