親鸞会 会員の声
平成17年3月
すごいことが説かれている、これが仏教だったのか!
(東京都 男性)
裏切られた経験は、私を憶病にしました。小学5年生、今でも忘れられません。
私は、仲のよい友人と、毎日楽しく遊んでいました。
「今の友情は、いつまでもずっと変わらない」と信じていました。
ところが突如、いちばんの友人が、前触れもなく、私を無視するようになったのです。
「なぜ? 何か気に入らないことをしただろうか……」
人間性を否定されたような痛みと、ほかの友達にも嫌われるのでは、という恐れで、心はいっぱいでした。
それからです、私が人一倍、友人とのつきあいに気を遣い、憶病になっていったのは。常に一歩離れて、自分をさらけ出さないようにしました。
「どう思われているのだろう。好かれたい、嫌われたくない」
という思いで、自分の本心を隠し、相手の話に合わせる、趣味を合わせる、考え方も合わせる。友人がバンドを組めば、バンドをやる。ゲームをすれば、私もゲーム。カラオケをやれば、私も……。
何でも程なくこなし、楽しそうに過ごす私に、時折聞こえる心の声は、
「おまえ、それで本当に楽しいのか。結局、何がしたいんだ……」。
他人の顔色ばかりを気にして、言いたいことは何も言えない。自分を傷つけられないよう、自己主張をしないのが、私の処世術だったのです。
両親にさえも、同じ気持ちがありました。本当なら、何でも相談できるのに、「良い子でありたい。なければならない」と自分を偽り、仮面をかぶって勉強する。それで衝突もなく、平和な家庭でした。
しかし、それでは私の心は救われません。虚構を重ねて作り上げた自分がいくら褒められたところで、それは自分自身ではない。心から喜べるはずはなかったのです。
親鸞聖人は、そんな私に、本当の幸せを教えてくださいました。
人生は、「独生独死、独去独来」。独りぼっちで、自分のことをすべて分かってくれる人なんて、あるはずない。思っているありのままを、何でも言い合える相手なんて、本当はいないのでした。
底知れぬ孤独地獄で苦しむ私がお目当ての、弥陀の本願を聞かせていただき、
「すごいことが説かれている、これが仏教だったのか!」
と感動しました。これからも仏法を聞かせていただこうと思います。
あなたは独りじゃない
(宮城県 女性)
「どうして分かってくれないの?」
「何で私ばっかり!」
幼いころから、私の心に渦巻いていた言葉です。
自分の気持ちを口に出すことが苦手で、姉や友人とケンカをするたびに、「もういい」と口を閉ざしていました。
「このままではいけない」と思い、言いたいことをハッキリ言うように心がけると、今度は衝突ばかり。人間関係の悩みが絶えませんでした。
そんな私が大学に入り、親鸞会とご縁があり、親鸞聖人の教えを聞かせていただくようになったのです。
「苦悩の根元は煩悩ではない。無明の闇である」
と、明らかにされる親鸞聖人の教えを知り、
「私が本当の幸福になれるのは、この道だ!」
と確信し、仏法を聞き求めることにしました。
しかしその後も、心は暗く沈んだり、作り笑いばかりがうまくなっていく自分が嫌になることもありました。仏法を聞きに行っても、どうしてもドアが開けられず、涙を流しながら、来た道を引き返した時もあります。そんな時、ふと思い出したのです。
「我が歳きわまりて、安養浄土に還帰すというとも、和歌の浦曲の片男浪の、寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ。一人居て喜ばは二人と思うべし、二人居て喜ばは三人と思うべし、その一人は親鸞なり」
親鸞聖人は、うれしい時も、つらい時も、いつでも見守っていてくだされる。
「そうだ、孤独で震える愚かな私に、聖人は優しく、手を差し伸べてくだされているではないか!」
すぐに仏法を聞きに走りました。遅れて入ってきた私を、皆、温かく迎えてくれました。それから、何度もつまずいたけれども、
「何があっても、決して仏法から離れない!」
という心は変わりません。少しずつ、心が強くなった気がします。
私と同じように、悩んでいる人が、まだたくさんいます。私はその人たちに伝えたい。
「あなたは独りじゃない。人生の目的を求める法友がいる。親鸞聖人と一緒なんだよ」