根本に尊ぶべき御本尊
〜親鸞聖人の仰せどおりに〜
浄土真宗の正しい御本尊は何でしょうか。
真宗末寺出身の親鸞会講師が、実家の寺の本尊を「南無阿弥陀仏」の御名号としました。
御本尊を正すことで起きた誤解や不審は、やがて僧侶や門徒に、親鸞聖人の本当のみ教えを明らかにする大きな勝縁に転じていきました。
その変わりいくご門徒の様子を紹介しましょう。
【親鸞会講師の手記】
耳を疑う回答 「聖人はどうでもよい、元に戻せ」
実家の寺の本尊が、木像から南無阿弥陀仏の御名号になりました。
親鸞聖人のみ教えどおりの寺となりましたが、それは苦難の始まりでもありました。
門徒は、なぜ先祖代々の木像を下ろしたのかと言い、普段寺に来ない人までやってきて住職を問い詰めるようになったのです。
「親鸞聖人のみ教えどおりにしたのです」と言うと、「親鸞聖人はどうでもよい、元のに戻せ」。本堂にこっそり入り、御名号を下ろそうとする人まで現れるありさまです。
情けないやら、悔しいやら。
しかし門徒の人がこんなことをした元々の責任は、教えを伝えてこなかった私の寺にあります。
だからこそ、この御名号本尊は、絶対譲るわけにはいきません。
しかし門徒はいらだち、近所の寺も乗り込み、ついに問題は京都まで上がったのです。
「なぜ本尊を名号に替えなければならないのか」とたびたび、詰問され、
「親鸞聖人は生涯、御名号を本尊となされ、蓮如上人も『他流には、名号よりは絵像、絵像よりは木像というなり。当流には、木像よりは絵像、絵像よりは名号』と仰せです。木像は他流ではありませんか。浄土真宗の憲法にあたる宗制にも『本尊は南無阿弥陀仏』とあるはずです」
と言うと、これ以上、触れられたくないのか、問題は県の責任者に回され、さらに同じ組の長に任されました。
「なぜ御名号本尊ではいけないのですか?」。こちらの問いに組長は、「本山が木像だから木像なんだ」。
耳を疑いました。
根本の御本尊を、どうして親鸞聖人の仰せに従えないのでしょうか。命の本尊は従わないが、ほかは親鸞聖人の教えに従う。そんなことがあるでしょうか。
根本が違えば、すべて間違ってしまいます。
「ご門徒は親鸞聖人からお預かりした方々、だからごの字をつけるのです。ご門徒を決して地獄へ堕としてはならない。聖人の教えを曲げたら万死に値する」
聖人のみ教えを正確に、懇ろに説かれる高森顕徹先生のご教導と懸け離れた、現在の寺の悲しい姿でした。
聖人は自ら筆を執られ、命とすべき南無阿弥陀仏を授けてくださっています。
浄土真宗の寺であるならば、命である御本尊は、親鸞聖人のなされたとおりにしなければなりません。
御本尊の問題を丸投げする本山、その後……
最も大事な御本尊の問題なのに、地方の組織に丸投げする本山もどうかと思いますが、県の責任者である教務所長や、地区の責任者の組長が、「門徒が賛成すれば御名号にしてよい」と、仏法の命である御本尊を、門徒の判断に任せよと言ってきたのには驚きました。
大事な御本尊について、どうしてこんなことを言うのでしょう。
あくまで、教えに忠実であるべきではありませんか。
これが一県の責任者の言うことなのですから、真宗が廃れるのも当然と思いました。
御本尊を替えた当初は、険しいムードでしたが、喜ばしいことも次々起きています。
門徒総代からの提案で、御本尊について寺で会合が設けられました。
内容は、なぜ御名号本尊でなければならないか、その勉強会となりました。
これまで寺の世話はしていても、聴聞にご縁のなかった門徒総代が聞法の場に連なったのです。
それだけでも大きな進展でしたが、一つ一つお聖教の根拠を示しての住職の話に、最初は反対していた総代や役員たちの心もだんだん動いてきました。
これからも総代会を開き、御名号本尊についての会合が開かれることになっています。
ご門徒の皆さんの後生の一大事がかかっています。お互い心を開いて、じっくり話し合いたいと思っています。
そして、必ず弥陀の浄土へお連れしたいと思います。
遇い難いみ教えに遇わせていただけたことを、本当にどれだけ感謝してもしすぎることはないと、住職と、ともに話しておりました。
ともに厳しい二河の道ですが、まことの道を進ませていただきます。