友の言葉が突き刺さった
神奈川県 田中祐(仮名)
コンプレックス
中学2年のころ、思春期ということもあり、人からよく見られたいということばかり考えていました。髪の毛が天然パーマであることにコンプレックスを抱いていた私は、ストレートにしたいと、朝のドライヤーに30分以上もかけていましたが、天然パーマは激しくなるばかり。部活動の野球もうまくいかず、生きていくことに辛さを感じるようになりました。
自分に自信を失っていくにつれ、他人の目はますます気になる。だから明るい自分を一生懸命、振舞おうとするが、空回りしてさらに自信を失い、暗くなっていく。変な悪循環に陥りました。学校に行くのが嫌になり、ズル休みをする日もありました。
どうにかこの苦しみから逃れたい、理想の自分になりたい。
そんなことばかり考えていました。高校に入り、いくつか問題点は解消できたものの、相変わらず悩みは増える一方でした。
親友の事故死
そんな高校1年の夏、思いもよらぬことが起きたのです。小学のころから、野球でも、遊びでも一緒だった親友の交通事故です。意識不明の重体でした。
数日後、見舞いに行き、集中治療室で再会した友達の姿は、たくさんの管につながれて、意識がなく、生かされている状態でした。
嘘だと思いたい事実に、今まで悩んできたことが馬鹿らしく思えてきました。なんとか意識をとりもどさせたい!心からそう思っていました。
いつも仲良く遊んでいたメンバーで、メッセージを録音したテープを作り、それを聞かせるという計画をたてました。声によって意識が戻ると思ったからです。みんなで集まっては、何個も何個もテープをつくって、病院に届け続けました。
実際にそのテープを聞いて、指が少し動いたなど、反応をしめすこともありました。しかし、1ヶ月後、努力も空しく親友は去っていきました。
その時、私はよくよく自分の心の奥底を見つめなおしました。メッセージを吹き込みながらも、奥底では悩みを引きはがせないでいたことが、大切なものを失ってから知らされたのです。
自己嫌悪に陥りました。
悔やんでも、悔やんでも、後悔の涙しか出てきません。心の底からやっていれば友達は助かったんじゃないかと。
高校を卒業して大学に入学した私は、合気道部に入りました。武道を極めれば悩みを感じない人間になれると思ったからです。確かに練習をしている時は充実し、悩みを感じることはなかったですが、それは稽古に熱中している時だけ。稽古以外の時は人と接すれば気を使う、休みの日は寝てばかり、苦しみは全然なくなっていませんでした。
2年生のころには部活やバイト先の人間関係等で疲れもピークに達し、ストレスから頭痛になり、そのまま風邪をひいてしまうほどになり、さすがに私もこのままではまずいと思いはじめました。そして大学のカウンセリングに行きました。しかし診断の結果は異常なし、きみの心は健康そのものだよ、ということでした。
悩みの原因がわかった
じゃあなぜこの苦しみ悩みはいつまでたっても消えないのか、と疑問ばかりおきてきました。親鸞会に入っている友人に初めて、そんな心が晴れな悩みを打ち明けました。
すると彼は「〝なぜ生きる〟ということが大事だとは思わないか?」と言ってきたのです。
その言葉が胸に突き刺さりました。そして幾度か親鸞会で、親鸞聖人の教えを聞かせいただいて、それは確信へ変わったのです。
今まで、どこに向かって生きればいいのか分からなかった。でも、ここにハッキリと示されています。