正しい教えは、2000畳をも狭くした
木下耕作さん(仮名)
私が浄土真宗親鸞会を知ったのは、同級生の家の屋根の上でした。友である平井君(仮名)に頼まれて、屋根のペンキ塗りをしていると、
「木下、お前何か信心している宗教があるのか?」
と聞かれ、
「あぁ、創価学会だ。」
と答えました。平井君は続けて、
「あっ、そうか。創価学会に籍を置いているのか。それで、お前真剣に信じているのか?」
と聞いてきました。
「いやっ、それはない。俺は今、創価学会が宗教法人として機能しているのか、疑問に思っているんだ。」
と答えました。
私が創価学会に入った昭和40年代後半、学会は勢いがあり、自分も幸せになれるのではないかと思って入りました。その頃住んでいた九州の友達に誘われて、ある時、富士山にある創価学会の総本山、大石寺に行きました。
池田大作の講演で
「日蓮を心の底から信ずれば、どんな病も治る。病気にならぬ体をしていれば不死鳥のようになれる。」
と聞き、これはすごいと思いました。
ところが、その午前の講演が終わり、午後になると別の人が話を始めました。「池田先生は昼食後、お腹が痛くなり、病院に運ばれました」との説明を聞き、唖然としました。
ええ?なんで?さっき「絶対病気にならん」と自分で言っていたではないか。どうして?あれほど、朝晩、板マンダラを拝み、題目も人一倍となえている人がなぜ?本当に日蓮宗は、我々凡人を幸福の世界に導いてくれるのだろうか。疑問は膨らむばかりでした。
そして、昭和50年代前半、富士山にある大石寺と創価学会は大喧嘩をして、決別しました。本当に日蓮は、我々凡夫を助けて下さるのだろうか、という不安と疑いの心でいっぱいになり、日蓮はもうどうでもよくなりました。辞めると言えば、何かとうるさく言うので、籍を置くだけにし、行事に参加するようなことは一切、しなくなりました。
その思いを聞いた平井君は、
「じゃあ、木下。今、俺が聞いている仏教の話を一度、親鸞会で聞いてみないか。」
と切り出してきたのです。今から3年前の5月のことです。
2日後、一緒に親鸞会の講演会場に行きました。そこで、仏教の話をして下さった人は若く、話の上手な人でした。
何もわからない私にも、とてもよく分かるように話をして下さいました。
「仏」についてのお話で、世間一般で使われている死人という意味ではないこと、さとりには52の位があり、その最高の覚りを仏の覚りと言い、その覚りを開かれた方を仏と言うこと、驚きの連続でした。
親鸞会主催の講演会が終わり、帰りの道中で、平井君から今日の話の感想を聞かれました。
「分からないことはたくさんあるけど、話を聞いていて楽しく思ったよ。」
と答えると、今度は近所である親鸞会の家庭法話に誘われました。
そこに行ってみると、7、8人の方が来ておられ、皆さんが歓迎して下さいました。その日の演題は、お釈迦様の説かれた人間の実相で、人間の愚かさ、儚さを聞かせて頂きました。
そして、その年の11月、親鸞会館での親鸞聖人報恩講に参詣させて頂くことができました。
正本堂が近づくと、あまりに大きいのにびっくり。中に入ってなおびっくり。広い2000畳の真ん中あたりに座っていると、一体どこから集まってくるのか、どんどんどんどん人が入ってきて2000畳が狭くなっていくのです。本当の仏教は、この2000畳をも狭くするのだ!と思いました。
世界の光である親鸞聖人の教えを信じ、光に向かって進ませて頂きます。