瞳に光 聞法の夜明け
視力は両眼とも0.1で、矯正は出来ない。3メートル離れると相手の顔が分からなくなる。晴れた日の太陽はまぶしく、カメラのフラッシュを浴び続けているように感じる。
原因不明の先天性弱視で、障害者手帳を携える上岡さん(仮名・30代男性)が、親鸞聖人の教えと出遇ったのは12年前、大学に入った春だった。
仏法との出会いを喜びながらも、人生の苦しみの波は、激しさを増し、どん底の日々が続いていった。
「小学生の頃虐めに遭い、ツバをかけられたり、暴言を吐かれたりしましたが、それがバネになって〝健常者と対等に生きていくんだ〟という奮発心が育てられました。」
小5で盲学校に転校してからは、大好きな勉強に熱中した。目からはいる情報が少ないからか、知識欲旺盛な少年だった。盲学校から普通高校へ進む先輩の姿に刺激を受け、「自分も井の中の蛙にはなりたくない」と、市内の普通高校に進学。最下位で入学するも、猛勉強の末、1年後には400人中トップになった。「科学的真理を探究したい」と大学理学部に進む。仏法と出遇ったのはその時だった。
出会いと挫折
「人間の存在意義という『真理』があるとは驚きました。大きな問題ゆえ、安易な結論は出せないと思い、講演会の後部屋に残って遅くまで先輩と激論しました。しかしどんな質問にも、明快な答えが返ってきたのです」
特に感銘を受けたのは、煩悩即菩提のお言葉だった。
「人間の考えつく生き方は、快楽主義か禁欲主義ですが、そのどちらでもない幸せがある。煩悩具足のままで無碍の一道に生かされるのが仏法と聞き、圧倒されました」
無常、罪悪、因果の道理と続けて聞くうちに、否定できぬ一大事が後生にあり、その解決こそ、万人共通の生きる目的だと知る。「人生のスタートラインに初めて立った気がしました」。だがそれは、挫折の入り口でもあった。
求め続けた仏縁
それまで順調だった勉強で行き詰まった。授業のスピードが早すぎて理解できず、先生ら親身に教えられることもない。級友とはなじめず、口数は減り、1年の夏ごろからノイローゼになって下宿に引きこもるようになった。
大学3年の10月から実家に戻り翌年には休学。将来が見えぬままアルバイトを探すが、履歴書には「大学休学中」としか書けず、資格もないため、なかなか採用されなかった。
「目が悪いので、コンビニやガソリンスタンド、パチンコ店などでは働けないんですが、それなら私よりもパートの女性を雇いますよね。障害者として、親に頼らず自活していく厳しさを体で思い知らされたのです」
公務員試験にもチャレンジしたが失敗に終わる。
<このままではいつまでたっても、続けて聴聞できる環境にならない。何か資格を取るしかない。そうだ。もう一度盲学校でやりなおそう>
意を決して自宅を飛び出し、寮生活を3年間、勉強に集中した。鍼師、灸師、あん摩マッサージ指圧師の資格を取得。さらに事務職での就職を目指し、県の職業訓練校に入所した。パソコンの表計算やワープロ技術、簿記などを必死に学ぶ。
もがき苦しむ日々の中でも、努めて仏縁は求めた。朝夕の勤行は心の明かりだった。
「自分が聞法の環境を整えているうちに、先生がご説法に立たれなくなったらどうしよう」と思うと、いても立ってもおれず、一日に10回、勤行した日もあった。親鸞聖人のアニメは「比叡山ご修行の場面や、三大諍論、鈴虫・松虫の命がけの聞法を繰り返し見せていただきました」。三願転入のお言葉を思い出しては、何としても決勝点にむかうのだと、自分を励ました。
「現在の場所に移ってから経済的に余裕ができ、富山への交通費を少しずつためていきました」
手元に残っていた親鸞会の法話日程表を見て、親鸞会館の番号を確かめ、恐る恐る電話をかけたのは、平成17年7月のこと。翌月の親鸞学徒追悼法要に、4年ぶりで参詣した。
「本館2階の願海で聴聞するつもりでしたが、隣に正本堂が完成していました。2000畳に足を踏み入れたとき、奥行きが広すぎて見えず、どれくらいの空間なのだろうかと思いました」。一歩ずつ歩いて広さを確かめていった。ここで聞法するために、がむしゃらに頑張ってきたんだと振り返らずにおれなかった。
10時15分、いつもの時間に高森先生がでてこられた。
「あわれあわれ……」と讃題をおっしゃった時、上岡さんも静かに手を合わせる。
「ああ、間に合った――」
熱いものが込み上げ、先生のお姿がにじんで見えた。
毎月3度 2000畳へ
平成18年12月、大手メガネメーカーから採用の知らせがあり、正社員としての入社が決まった。
「12年かかってようやく、聞法の土台、生活の基礎が整いました。遠回りしたようですが通るべき道だったのだと、お導きに感謝するばかりです」
今年からは毎月3回、親鸞会館に足を運んでいる。大映像は双眼鏡で、『真宗聖典』の御文はルーペで確認する。
「高森先生はいつも説き切ってくださる。すべてがそろった今、あとは私が真剣に聞き切るのみです」