光は東洋にあった
大隅 浩一郎(仮名)
生きる意味を求め、西洋哲学を研究するつもりで入った大学で、出会ったのは東洋の仏教。大隅さんが、親鸞学徒の道を選ぶまでには様々な葛藤があった。
高校時代、倫理の授業をきっかけに西洋哲学に関心を抱く。もっと詳しく知りたくなり、予備校にも通って古今東西の300以上の思想に触れた。「思惟する人間の数だけ真理の候補があるんだ」と感じた。
中でも惹かれたのは実存主義だった。その第一人者と言われるキルケゴールの、「そのために行き、そして死ねるような自分だけの主体的真理」という言葉に惹かれ、そんな真理を自分も知りたいと思うようになる。
平成17年工学部に進み、西洋哲学のサークルに入ろうと探していたとき、先輩から「親鸞聖人の教えをきいてみないか」と声をかけられた。
「東洋かぁ。でも仏教も面白そうだな」と感じ、最初は参加していたものの、友だちに飲み会に誘われると、次第に足が遠のいた。
「受験で抑えていた欲望が一気に現れたのかもしれません」
だが、ほろ酔い気分でいやされるのは、ほんの一時で、酒宴のあとは決まって心にポッカリ穴が開き、後悔に襲われる。帰り道、フラフラになりながら、「色あせる幸せってこのことか……」。先輩から聞いた話をぼんやり思い出した。「このままでは酔生夢死だ。ああ、この命、何に燃やせばいいんだ」。無性に知りたくなってきた。
1000冊と格闘
4月からぽつりぽつりと聞いていた仏教、そこに真実が教えられている気もするが、もう一度、いろいろな方面から徹底的に調べたいと思った。
哲学、心理学、宗教学、物理学、先述学、心霊術、スピリチュアルなど、図書館やインターネット、書店から情報を集め、人生の目的の答えにたどり着きそうな本を片っ端から1500冊そろえた。一人下宿にこもり、大学にも行かず、友人とも会わず、食事もそこそこに一日中読み続ける。
「真理探究のスタンスをとっているか、幸福を論じているか、実際になれるのか。この3つの観点から探しました」
しかし1000冊ほど終えたころ、「真理に近づくどころか、遠ざかっている感じがする」。
例えば物理なら、一つの理論が生まれると、あの場合はどうだ、これは説明できるかなど次々疑問が生じる。科学といってもアインシュタインが言うように、今までのすべての現象を説明しうる理論が、暫定的に「正しい」とされるだけで、次の瞬間には破綻の可能性を含んでいる。
真理らしいことを発見しても確かめる手段がない。かりに証明するてだてがあっても、それが自分の幸福とどう結びつくのかと考えるとむなしくなった。
「幸せになれる真理を、いろいろな学問がどう示しているか、その答えを比較して選ぼうと思っていたのに、答えを出すところまでいっていない。人智の限界を感じました。やはり仏智によって説かれた教えに答えがあるのでは?と思えてきたのです」
それから、真剣に仏教を求めるようになった。
「よくよく聞いてみると、お釈迦様の『人生は苦なり』の断言に、西洋哲学の一切がおさまる気がしました」
『仏説大無量寿経』に明かされる真実の自己の姿を重ねて聞くほど、「心理学とはレベルが違う。深層心理どころではない……」と感じた。
また、仏教では、業力(ごうりき)によって運命が決まると説かれている。
業(ゴウ)とは、行いのこと。心と口と体でやった行いは、不滅の業力となって、いつまでも残り、それらが「原因」となり「縁」 が来ると、目に見える「結果」が現れると教えられるのだ。
しかも、業力をおさめた、我々の生命は、三世を貫いている。 そのことを、お釈迦さまが
「過去の因を知らんと欲すれば現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲すれば現在の因を見よ」
と『因果経』に説かれていることを知った時、それまでの価値観が打ち砕かれるようだった。
「西洋でも東洋でも、論理的に三世を明らかにする教えは聞いたことがなかったからです」
一昨年の降誕会で、「教行信証」の
『 噫、弘誓の強縁は、多生にももう、あいがたく、真実の浄信は、億劫にも獲がたし。たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。 』
(
ああ……なんたる不思議か、親鸞は今、多生億劫の永い間、求めつづけてきた歓喜の生命を得ることができた。これはまったく、弥陀の強いお力によってであった。深く感謝せずにおれない。)
のお言葉を聞いたとき、胸がごっそりえぐられる思いがした。
ああ、親鸞聖人のお言葉は、人生の目的を完成された大歓喜に満ちている。自分も多生の間、幸せを求めながら、求まらずに苦しんできたのか。私の知らない私までも見抜いて、三世にわたって無上の幸福に助けると誓われているのが弥陀仏の本願なのか……。
やっと真実に遇えたという安堵と喜びが交互に押し寄せ、人生の歯車がものすごい勢いで回り始めるのが分かった。
「今は、真実の仏法を、家族や友人、縁のある人に届けたい気持ちでいっぱいです」。
文章や言葉で多くの人に伝える技術を身につけたいと思い、昨春再受験をして文化構想学部に入った。
「親鸞聖人の教えに人生の真実が説かれていますよ、と早く知らせたいですね。」