親鸞会で知った聞法の喜び
「聞法できることが何よりも幸せ」|親鸞会
大阪府 小笠原ヨシエさん(70)
なぜ命かけて聞きに行ったの?
「生きてパッと消えていく。人間ってこんなもの?何のために、人は生きるの?このままで終わるなんて、納得できない。何かあるはず……」
小笠原ヨシエさん(70)が疑問を覚えたのは8年前、40年連れ添った夫が、先立ってからだった。
命のはかなさを身につまされ、親鸞聖人に光を求めた。
「親鸞聖人のお名前を見ると、なぜか胸が熱くなって……。他の文字とは違う、懐かしい思いがするんです」
と語る。
故郷の兵庫県宍粟市は、浄土真宗の盛んな地。御仏壇の横の「親鸞」と書かれた額を毎日目にし、母に連れられ寺参りにも行き、朝晩『正信偈』を読む母を見て育った。
夫が亡くなってからは、新聞でも雑誌でも、親鸞聖人に関する記事には隅々、目を通すようになった。新刊が出るたび求めた書籍は、十数冊に及ぶ。厳しくも慈悲深い聖人が描かれた小説を、毎日読んでは涙した。
そんな一昨年8月、『歎異抄をひらく』の新聞広告が目に留まった。その日すぐに購入し、いつも手元に携えて、仕事の合間に幾度もページをめくった。
最も心打たれたのは、『歎異抄』第2章だった。関東の同行たちが、一月もかけ、命懸けで京に向かう。
「そこまでして聞きに行くのはなぜ?彼らをここまで動かす力は何だろうと思いました」
同時に、読んでも読んでも理解の及ばぬ、あまりに深い内容に戸惑ってもいた。
親鸞会で「この世で救われる」ことを知った
昨年3月、ポストに1枚の親鸞会の勉強会チラシが舞い込む。『歎異抄』に関する親鸞会の講演会が市内で開かれるという。『歎異抄をひらく』を手に会場へ赴き、ビデオで高森顕徹先生のご講演を聞かせていただくことができた。親鸞聖人29歳の御時に、信心決定なされたことを知り、続けて聞かずにおれなかった。
「親鸞聖人は、壮絶な修行をなされ、勉学にも励まれたお方。そんな方が〝地獄は一定すみか〟と仰るのです。でも同時に、弥陀に救われたことを喜んでおられる。そんな不思議な世界があったのですね」
生きる目的を知らされて、親鸞会で聞法するたび遇法の喜びは深まっていく。
「とにかくご説法が待ち遠しい。聞法できることが、何よりも幸せ。何がなくても、仏法だけあればいいと思っています」
『歎異抄をひらく』発刊から3年5カ月、反論なし
東京のある仏教青年会に通う20代の男性から、こんな声を聞いた。
「青年会で『歎異抄をひらく』は有名ですよ。メンバーは皆読んでいます」
その理由を尋ねると、
「何といっても分かりやすいから」。
また、東京の有名大学の「宗教と現代社会」という授業では、現代人の宗教の誤解を指摘したプリントが配られた。そこに「そういえば『歎異抄』も……」という書き出しで、『歎異抄』が当時の誤解を正そうとした書だったことも紹介していた。
さらに「『善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや』は、悪人肯定の教えではなく、悪人とは阿弥陀仏に煩悩具足の塊として見抜かれ、永遠に助かる縁のない人間のこと(つまり全人類)」と書かれてあり、『歎異抄をひらく』の解説の影響がうかがえた。
なぜなら『歎異抄をひらく』には「人間はみな煩悩の塊、永遠に助かる縁なき『悪人』と阿弥陀仏は、知り抜かれた」「聖人の言われる『悪人』は、(中略)阿弥陀仏に、悪人と見抜かれた全人類のこと」(198ページ)とある。
全人類が煩悩の塊で、永久に苦患に沈む後生の一大事を抱えていることを認めない、現今の学者の解説本では、幾ら読んでもこの教授のような『歎異抄』解釈は出てこない。
毎年、10冊以上出ていた『歎異抄』の解説書が、『歎異抄をひらく』が出て3年5カ月、本願寺から1冊も出なくなった。
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