真宗の正しい御本尊
弥陀より一念で賜る名号|親鸞会 顕正新聞
親鸞聖人が生涯、御本尊として尊び、礼拝なされた南無阿弥陀仏の御名号こそ、真宗の正しい御本尊である。
これまで本願寺は、「絵像・木像でよい」と主張してきたが、その主張に変化が見られるようになってきている。
今年2月、本願寺の月刊誌の『宗報』には、
「『南無』まで含めて『南無阿弥陀仏』を本尊とするのであり、『阿弥陀仏』だけを本尊とするのではありません」
と記述している。
ただし全文を読むと、結論は「絵像・木像でよい」のままで、執筆した故・教学伝道研究センター所長には確認しようもないが、本願寺の本尊に対する考え方に大混乱が生じてきたのは確かなようだ。
仏法の究極の目的は浄土往生にある。阿弥陀仏から私たちが、南無阿弥陀仏の名号を一念で賜り、南無阿弥陀仏と私が一体になったのを、「仏凡一体」(阿弥陀仏の心と、凡夫の心が一つになる)とか、「仏智全領」(大宇宙の功徳を丸もらいする)といわれる。
その身に救われた人だけが、死んで浄土へ往生させていただけるのであり、だれでも彼でも極楽へ往けるのではない。
だから浄土を願う親鸞学徒にとって、最も大事な御本尊とは、南無阿弥陀仏の御名号なのである。
親鸞聖人がなされたとおり、蓮如上人も
「当流には『木像よりは絵像、絵像よりは名号』というなり」
と明らかにご教示なされている。親鸞学徒は御名号本尊を徹底し、皆ともに往生極楽の本懐を遂げたい。
他流には「名号よりは絵像、
絵像よりは木像」というなり。
当流には「木像よりは絵像、
絵像よりは名号」というなり。
(御一代記聞書)
御仏壇も迷いなく
奈良県 戌井義忠さん
『正信偈』の意味を知りたいと思い、2年前から、仏教の小冊子を読むようになった。
誌上でたびたび解説される、
「他流には『名号よりは絵像、絵像よりは木像』というなり。
当流には『木像よりは絵像、絵像よりは名号』というなり」
の蓮如上人のご教導に、浄土真宗の正しい御本尊は南無阿弥陀仏の六字の御名号と知らされた。
「それからは自宅の絵像に礼拝していても、何かしっくりこなくなって。御名号に替えなければとずっと思っていたんです」
仏教講座に続けて参加するようになり、昨年末、親鸞学徒となった。ご下附式で、「最も大切なものが御本尊だから、御仏壇には南無阿弥陀仏の六字の御名号をご安置するのが親鸞学徒」と聞き、迷わず正御本尊をお迎えすることを決めた。
自宅に正御本尊をお迎えし、義父にも、蓮如上人のご教導を丁寧に説明した。
「今では家族皆、正しい御本尊に礼拝させていただいています」
と、戌井さんは晴れ晴れとした表情で語っている。
(プライバシー保護のため、個人名は仮名にしてあります)