体験手記:生長の家から親鸞聖人の教えに
静岡県 山田 二枝(仮名))
私は、長野県の山間の小さな村に育ちました。父は2歳の時になくなり、4歳の時、母は私を連れて子供が4人ある家に嫁ぎました。多くの兄弟の中でも、私は暗い内気な性格で、なかなか家族になじめませんでした。
そういう中で、幸福になりたい、どうしたら、幸せになれるのか、という気持ちは、人一倍強くなってゆきました。
23歳の時、静岡に嫁ぎました。幸福になるには、まずお金がなくては、と、当時はがむしゃらに働きました。3人の子供もそれぞれ独立し、ふと気が付くと50を過ぎておりました。
嫁いだ家は、浄土真宗ではありましたが、実は熱心な生長の家の信者で、義父は、その講師までしていました。
生長の家の教えは、
「とにかく感謝して過ごしなさい。『有難うございます。有難うございます』と言ってくらせば、必ず幸福になれる」
というものです。
義父が死んでから、私も生長の家の集まりに参加するようになりました。そこでは、
「はい、にこ、ぽんっ」
という心がけを教えられました
「はい」と返事をして、
「にこっ」と笑って、
「ポン」と立つという心がけです。
しかし、腹が立つとそれさえできない自分が知らされ、悩みました。
また、病気は心のかげ、本当の病気というものはなく、気持ちが病気にさせているのだといい、肝臓ガンになっても、義父は医者に行きませんでした。
歯が痛くても、それは自分の心が悪いからなので、歯医者に行かない。それで死んだら天上界だといわれます。本当にこれで幸せになれるのか、私は疑問をもつようになりました。
そんな私たち夫婦に転機が訪れたのは、平成7年11月に浜松で初めて親鸞会主催の高森顕徹先生の講演会を聞いた時です。
朝のお勤めが始まると、なぜか、涙が出てとまりませんでした。泣きながら、お勤めを聞いておりました。
そのときの説法は、「人生は苦なり」から始まり、四苦八苦のお話でした。人生は苦しみの連続、これではとても幸せにはなれない、どうしたら幸せになれるのだろう、と午後の説法を心待ちに待ちました。
午後に
「難思の弘誓は難度海を度する大船」(親鸞聖人)
苦しみ悩みの絶えない人生の海を明るく楽しく渡す大きな船のあることを教えていただき、この弥陀の大船に乗らない限り、本当の幸せにはなれないのだ、と知らされました。
しかし、今までの義理もあって、しばらく私は生長の家を離れられませんでした。
夫は、というと毎週、親鸞聖人の教えを聴聞するために出かけていきます。
私は生長の家のお勤めをし、夫は正信偈のお勤めをしました。生長の家の本山で、このように夫婦別々のものを信じていてよいのでしょうか、と聞くと
「それは個人の自由です。一軒でいろんなものを信じていてもいいのですよ」
といわれたので、そんなものかな、と思いました。
続けて聞かせて頂いて知らされたのは、仏法で教えられる、生死の一大事の重さです。これはなんとしても真剣に求めねば、と心が定まりました。
夫は門徒総代をしていましたが、教えを全く説かない寺に腹が立ち、寺が本堂の建てかえに、布施を募ってきたときに思い切って寺と縁を切りました。かえってさっぱりして、もっと早くこうすればよかったと思いました。
本当の幸福になれるよう、これから夫と二人三脚で聞法いたします。