教えて還る子は知識なり
富山県 Sさん(50代・男性)
親鸞会結成20周年のころに仏法を求めていましたが、間もなくご縁を遠ざけてしまいました。それから30年、種々の善巧方便により昨年11月、再び親鸞会の会員とならせていただいたのです。
忘れられないのは、13年前の暑い夏の日のことです。「Sさん、今すぐ来てください」。病院の待合室にいた私を、看護師さんが慌てて呼びに来ました。新生児集中治療室へ行くと、そこには、人工呼吸器のチューブをつけられた、痛々しい姿のわが子が、小さな体を震わせ、その目に涙をためながら、呼吸困難で苦しんでいました。
妻のおなかにいた時から、数万人に一人といわれる病を患っていると分かっていましたが、私たち夫婦の希望で出産したのです。
次第に、心拍計がほとんど振れなくなっていきました。そのいたいけな、やわらかい小さな手をしっかり握ると、気持ちが通じたかのように、また心臓が動き始めたのです。しかしそれもしばらくして止まり、再び動きだすことはありませんでした。わずか一日半の命でした。
どんなに苦しかったことでしょう。「よく頑張った、よく頑張った」と、わが子の手を握り締め、涙ながらに褒めてやりました。火葬場でだびに付する前、それまで人前で一度も泣いたことのなかった私でしたが、この時ばかりは声を上げて泣きました。涙が止まりませんでした。
人はなぜ死なねばならないのか。あまりにも短い一生のわが子に教えられたのは、「病の苦しみ」「死の苦しみ」です。
また昨年、母方の従兄弟が亡くなった時、火葬場で遺骨を拾って骨壺に入れていると、何ともいたたまれない気持ちに襲われ、「いずれ自分もこうなる」「人の一生は何と、はかないのか」と、悲しみで一杯でした。
30年ぶり仕事で法輪閣へ
昨年8月、通信関係の仕事で赴いたのが、なんと親鸞会の法輪閣でありました。
仕事の休憩時間に1階ロビーでコーヒーを頂いていると、近くにいる人たちの仏法を語り合う声が聞こえてきます。すると、30年前に高森先生から聞かせていただいたことが、次々に思い出されてきたのです。
人生の目的、弥陀の本願、信心決定、まことに宿善まかせ……
若くして親鸞聖人の教えに遇わせていただきながら、なぜに離れてしまったのかと悔やみ、涙が頬を伝い、泣けてきました。
「そうだ、今こそ長のご無沙汰をおわびし、願わくは再び親鸞会の会員として高森先生から親鸞聖人の教えを聞きたい」と意を決し、当時の法友と連絡を取り、正本堂に参詣することができました。
親鸞会館は大変わりしましたが、高森先生の説法は昔と変わらず、厳しく激しく私の胸に響きました。
無常を身をもって教えてくれたわが子の死を無駄にすることなく、命を懸けて聞き抜かせていただく覚悟です。
妻を襲った突然の病 問わずにおれなくなった「なぜ生きる」|現代に生きる仏