ボランティアの現実
新島芳子 さん
バナナやヤシの木に囲まれた平地に、露店のような小さな店が居並ぶ。南インドの小さな町、カニャクマリ。
親を亡くしたり、貧困のため、家族と暮らせない子供たちが集まる養護施設に、昨年の春、新島さんとボランティアの学生8名が、2週間滞在した。
新島さんは、それまでもボランティアでフィリピン、タイ、ブラジルなどへ行ったことがある。
行く先々で、恵まれない子供たちに手を差し伸べてきた。そんな時、自分が必要とされている幸せを強く感じた。
大学で看護の道を選んだのも現地で活躍できるようになりたかったからだ。
でも具体的に、将来何をするか?決めねばならない時期が迫っていた。今回のインドへの旅は、その大事な意味を持っていた。
施設の子供たちとはすぐ仲良くなれた。
日本製の品物はどれも彼らの宝物で、すぐ取り合いになる。皆、手をつなごうとして自分に群がった。
愛情に飢えているのだ。一人一人がいとしかった。
でもその一方、街角の路上に行けば、すさんだ目をした、たくさんの子供たちがたむろし、手を出して寄ってくる。
怖くなって思わず逃げ出した。
「支援といっても、どこかで割り切らないといけないんです。帰国すれば自分の生活もあり、遠い国のことまではとても……となってしまいますし」
期日が来て、施設の子供たちとは涙ながらに別れ、帰りは知り合った仲間同士、いつ再訪するかとか、互いの夢を語って盛り上がった。
得がたい経験。一生懸けてもいい仕事だと思えた。
だが帰国して日がたつにつれ、高揚した気持ちは次第に薄れていく。将来の道に再び迷い始めた。
「ボランティアといっても、自己満足でやっているんじゃないか?そんな疑問がいつも心にくすぶっていました。なぜなら次の奉仕活動を決める際、内容を自分で選びます。結局、自分が満足できる形のボランティアだけしているようで」
悩んだ末、インドへ行く前に知り合った、仏法を学ぶ友人たちの所へ顔を出した。
親鸞聖人の講演会があり、『歎異抄』4章について聞く機会を得た。
厳しくとも 本当の道を
「今生に、いかにいとおし不便と思うとも、存知のごとく助け難ければ、この慈悲始終なし」
(この世で、かわいそう、何とかしてやりたいと、どんなに哀れんでも、心底から満足できるように助けることはできないから、聖道の慈悲は、いつも不満足のままで終わってしまう)
聖道の慈悲——。まさに自分のやろうとしていたことではないだろうか。
親鸞聖人の言葉は、自分が海外ボランティアを通して感じたことそのものだった。
聖人は何もかも知り抜かれたうえで、毀誉褒貶を顧みず、浄土の慈悲、弥陀の本願を伝えることに徹し抜かれたのだろう。
恵まれない人への物質的な援助も、もちろん大切と思う。
でもそれだけでは不完全で、心底、満足させられない現実を実地に学んだ。
本当に何とかしたいと思うなら、本当に満足を得られる道、厳しくても、聖人の行かれた道を行くべきではないだろうか?新島さんはそう思い始めていた。
今春から、看護師として働くことが決まった。
「ボランティアで果たせなかったことを、医療の現場で果たせるようになりたいです」
ボランティアで知り合った友には、時折、メールで近況を伝えている。
『歎異抄』4章の内容を縁に、いつかともに聞法できる人が現れることを念じて。
(プライバシー保護のため、個人名は仮名にしてあります)