高い技術と円熟の人格で、
信頼厚い名医
H医師
外科医になって二十三年。大阪では、専門の大腸ガン、胃ガンなど、千人以上の患者にメスを施し、名医と慕われた。平成十二年からは、富山県内の中核病院へ移り、年間百件の難手術をこなす。
同時に医局長という立場で、病院の円滑な運営に尽力してきた。同僚の医師や医療スタッフからの信頼も厚い。
勤務開始の一時間前。広い駐車場の最も遠くに車を止めるや、玄関までダッシュする。
「回診の前に患者さんの顔を見たいのです。心配ですから」
昨年入院していたAさんは、病室に主治医のH先生が「おはようございます」と元気に入って来て一日が始まったと言う。本来の回診が二度目、お昼過ぎと夕方を含め、日に四度も足を運んで励ましてくれたことを感謝する。
「病状が落ち着いてくれば、二、三回でも安心できますが、重症の方は、どうしても気になりますからね」(H医師)
Aさんが術後、初めてベッドに座れたら拍手。笑顔が出た、歩けるようになったと言ってはまた拍手し、快復を喜ぶ。思わず手をたたいてしまうのだと言う。
Aさんのように、退院後も気になる患者には、ひと月に十回、多ければ二十回も電話し、様子を尋ねる。
名医と慕われる理由は、熟練した医療技術だけではない。「思いやりの心」が、患者からの信頼の源のようだ。富山へ来て八年、今でも、「H先生しかおられません」と、大阪から通う人があるのもうなずける。
じっとしていない医局長
そんな人柄は、同僚の医師や職員からも愛されている。
「礼儀の基本は挨拶。医療スタッフはもちろん、掃除のおばさんにこそ、こちらから挨拶するようにしています」
医局長という立場は、医師団のまとめ役として、院長、副院長に次ぐ重職だ。月二回の医局会では、全国的な課題である救急搬送への対応を検討したり、日進月歩する新しい医療技術の習得に余念がない。また、医師本人の健康や家庭状況にも気を配る。
「でも、そんなカッコいいものじゃないんです。各部署を渡り歩く調整係ですよ」と苦笑い。
病院には看護師、薬剤師、検査技師もいて、それぞれ専門知識を有している。医師団が、「こんな手術をしたい」と希望しても、看護師からは、スタッフが足りない、設備不足で難しい、といった意見も出る。H医師は必ず、双方の言い分をよく聞くよう試みる。医局にいたかと思うと、次はナースステーションに。さらに検査室へ。院内を軽やかに飛び回りながら、問題解決に尽力する。
国家資格保持者の集まりである病院でも、医師免許があれば、とかく、人を見下す言動になりがちという。だが、「『偉そうにする値なぞなき身なり』と、親鸞学徒は教えていただいています。自戒しなければなりません」。
心一つに電子カルテ
優れた調整力は、電子カルテの導入に、いかんなく発揮された。
H医師を責任者として開発が進んだ五年間、紙のカルテを電子情報にするには、人材と時間、莫大な経費が必要だった。しかも、医師だけでなく、看護師、薬剤師、検査技師など全員が使い勝手のよいものを創るとなると、甲論乙駁果てしなく、他病院では、担当者が過労死や自殺する悲劇も起きている。
H医師は粘り強く、関係部署との協議を重ねた。夕方からの外来診療もあるため、会議は夜九時から十一時まで。土曜も集まり、激論が続く。スタッフ全員のパソコン操作の練習も実施した。
時に喫緊の案件を決断する必要が生じ、後から各部署へ出向いて、説明に追われることもあったという。H医師の親身な対応に、職員の心は絶えず一つになり、昨春、運用開始へこぎつけた。
しかし、想定外のトラブル発生。ある病棟だけ、原因不明でパソコンの無線がつながらなくなった。看護師が、
「こんなの、やめたらどうですか」とキレかかった時も、技術者との間に入り、
「つながらなくてゴメンね」
「もうすぐよくなるよ」
「頑張ろうね」
と執り成し、何とか復旧にこぎつけた。
「そんな時は、怒っている人の所へ行って、謝るのがいちばんです」
その後は順調に稼働している。電子カルテについていけない看護師が大勢、依願退職した総合病院の話も聞くが、この病院スタッフは、「やっぱり電子カルテにしてよかったね」という声がほとんどという。
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トゲトゲしい現場にさわやかな風を吹かせ、患者もスタッフも明るくする活力のもとは何だろう。
「大学在学中に、『仏心を体現した医師、出でよ』という高森顕徹先生のお言葉で転身し、ここまで来ました。二千畳のある富山県で、家庭を持ち、大きな病院で働かせていただける恵まれた環境です。感謝の心をエネルギーに、できる精一杯をさせていただきます」