愛媛の親鸞会会員・同朋の里で深夜まで語らう
平成20年8月3日親鸞会館で、親鸞学徒追悼法要が行われました。
人間の実相のご説法を聴聞したあと、愛媛の親鸞会会員は、同朋の里へ移動した。「これまでは、すぐ帰っていましたが、今日はとことん信心の沙汰をしてここに泊まるんです。そのために有休を取ったんですよ」と笑みを浮かべる。2時間の話し合いは「自分自身が分からないとはどういうことか」の一点に集中していた。
A「私たちは自分自身のことが分からないのだ、とお聞きした時、ドキッとしました。一体、どんな私だろうか?と思いました」
B「始めから終わりまで私たちは独りぼっちだと、お釈迦さまが説かれている『独生独死 独去独来』のところでお聞きしましたね」
C「肉体の連れはいるけれど魂の連れはいない。テレビや携帯、パソコンなどすべてに恵まれているのに、魂は寂しい寂しいと泣いていませんか、と言われた時、ズーンときました。本当にそうだなと」
D「分かるところまでは、分かる。しかし、本心は分かってもらえない」
E「でもその本心というのは……、自分も、その本心が分からない、ということですよね」
C「そのことで、午後のお話にヒントがあったと思うんです。肉体は長くても100年ですが、私たちの魂は昿劫流転してきたと教えていただきました。その私が分からない、ということでしょう」
F「つまり自分自身が分からないとは、昿劫流転している自分が分からないと?」
D「生まれる前のことも、死んだ後のことも分からないものなあ」
C「"自分自身"が分からないとは、とてつもなく深い感じがします」
B「『なぜ生きる』には、自分のことが分からない心は無明の闇だと教えてくださっています。〈後生暗い心とは、50年、60年先の闇ではない。今に暗い心である。現在に暗い心とは、現在の自己に暗いことにほかならない。自己の現在を隠すもの、それが無明の闇なのだ。無明が破れて、自己の素顔が明らかになると、過去も未来も鮮明になる〉と」
D「無明の闇が破られた時に、昿劫流転の自己が知らされるのですね」
F「親鸞聖人は阿弥陀仏に救われて、本当の自分を理解してくださるのは阿弥陀仏だけだった、と知らされたんですね?」
G「『歎異抄』に〈弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人が為なりけり〉とおっしゃっているとお聞きしました」
A「この時に、自分自身の本当の姿も知らされるということですか」
B「自己の真実と弥陀の本願が知らされるのは同時です。私たちが仏教を聞く目的は、その弥陀の救いにあうこと一つです。2000畳に参詣するのも、信心の沙汰をするのも、目的は、その身になること以外にありません。これからも聞法ドメインで大いに話し合いましょう」