大宇宙の諸仏が絶讃する名号
「南無阿弥陀仏」の六字を名号という。
この南無阿弥陀仏を見て、「何のまじないですか」と聞く人もあれば、「南に阿弥陀仏が無い?弥陀の浄土は西だから当然じゃろう」と嘯く者もいる。
名号六字の大功徳は、迷った人間の智恵では分からないのである。
釈尊は『大無量寿経』に、こう説かれている。
「十方恒沙の諸仏如来、皆共に、無量寿仏の威神功徳の不可思議なるを讃歎したもう」
「十方」とは十方微塵世界の略で、大宇宙のこと。「恒沙」とは、インドを流れるガンジス川の砂の意で、その数は無限といっていいだろう。
広大な宇宙には、地球のようなものは無数にあり、地球に釈迦如来が現れたように、大宇宙には数限りもない仏がましますことを、「十方恒沙の諸仏如来」と言われている。
「皆共に」とは、すべての仏が例外なく、ということ。「無量寿仏」は阿弥陀仏の別名で、「威神功徳の不可思議」とは、想像もできない凄い働きのある名号のことである。
だからこの一文で釈尊は、大宇宙にまします数え切れないほどの諸仏方が異口同音に、阿弥陀仏のつくられた「南無阿弥陀仏」の想像を超えた大功徳を褒め称えていられると、おっしゃっているのである。
何と驚くべきことではなかろうか。
仏さまですら「不可思議」と言われるほど、偉大な働きが名号にはあるのだ。
蓮如上人のご教示 〜最高無上の幸福にする働き〜
蓮如上人は、これを『御文章』に分かりやすく教示されている。
「『南無阿弥陀仏』と申す文字は、その数わずかに六字なれば、さのみ功能のあるべきとも覚えざるに、この六字の名号の中には、無上甚深の功徳利益の広大なること更にその極まりなきものなり」
「南無阿弥陀仏」の名号は、たった六つの文字だから、そんなに凄い力があるとは誰も思えないだろうが、それは猫に小判、ブタに真珠。我々凡夫に、値を知る智恵が無いからだ。
この六字の名号の中には、私たちを最高無上の幸福にする絶大な働きがあるのだ。
その広大さは、天の際限のないようなものである、と懇切に仰せである。
蓮如上人ご自身が何よりも明らかに知らされたことだが、「この蓮如は」とは言われずに、名号の大功徳のみを言葉を尽くして讃嘆なされているのは、親鸞学徒に徹していられたからであろう。
では、一切の諸仏が絶讃する「南無阿弥陀仏」には、どんな力があるのか。
それこそが、全人類の苦悩の根元である無明の闇(後生暗い心)を一念でぶち破り、破闇満願、絶対の幸福に救う、不可称不可説不可思議の大功徳なのである。