仏教で最も重要な3つの言葉
「仏教は難しい」と思われる理由の1つに、仏語の難しさがあります。仏教には独特の深い意味を持つ言葉が多いからでしょう。
数多くの仏語の中で、最も重要な3つを挙げれば、名号、信心、念仏です。しかもこの3つは、深い関連性のある言葉なのです。
「聖人一流の御勧化の趣は、信心をもって本とせられ候」
と蓮如上人が仰るように、親鸞聖人が一生涯かけて教え勧められたことは、「信心」一つでした。この信心を正しく知るには、まず名号から理解しなければなりません。
名号とは「南無阿弥陀仏」、六字のことで、例えていえば薬です。その薬を飲み、病気が全快したことを、信心というのです。病が完治した人は、うれしさのあまり、薬を創ってくだされた阿弥陀仏にお礼を言わずにおれなくなります。そのお礼が念仏です。
薬は、病気で苦しむ人がいるから作られたものです。
南無阿弥陀仏という六字の名号は、全人類を苦しめている無明業障という病を治すために、阿弥陀如来が創ってくだされた妙薬です。
「無明業障の病」とは、どんな病気なのでしょうか。
無明とは、死んだらどうなるか分からない心をいい、後生暗い心ともいいます。
死と聞くと、誰もが心が暗くなるから考えたくもありません。なぜ、そんなに死を嫌うのでしょうか。死んだらどうなるのか、どこへ旅立つのか、他界するというが、それはどんな世界なのか、サッパリ分からないからです。
死後は、ただ暗い。真っ暗がりです。ところが私たちは、皮肉にもそんな後生に刻々と近づいています。だから、どんなに物質や娯楽、友人に囲まれていても、心から楽しめないのです。
人生を苦に染める元凶は、この無明の闇だと、仏教では断言されます。
そして、南無阿弥陀仏の名号には、この無明の闇をぶち破り、明るくする力があると説かれます。
南無阿弥陀仏の名号を、弥陀より賜った一念に、無明の闇は晴れわたり、死ねば必ず弥陀の浄土に往生できる「後生明るい心」に生まれ変わるのです。
未来が無量光明土(限りない光明の世界)とハッキリすれば、現在も明るく楽しい「絶対の幸福」に生かされます。人間に生まれてよかったと、生命の大歓喜を味わうことができます。この心を、「信心」というのです。
親鸞聖人は、この「信心」一つを身命を賭して明らかになされたお方でありました。
まさに世界の光といえましょう。