一生、金に困らぬ法
お金の心配を無くしたい。健康の次に大きな悩みが、金銭ではないでしょうか。若者を中心に、「FIRE(ファイア)」という生き方が関心を集めています。必要な資産を貯めて20代、30代で退職し、後は貯蓄の運用でやりくりする生活です。
職場の人間関係や、ローン返済、年金の不安で、どれだけ神経を擦り減らしているでしょう。そんな生活苦から解放されたいと、青年が夢みるのもうなずけます。
昨年度の小中高生の自殺は、過去最多となりました。子供でさえ、今の苦しみに押し潰されているようです。
親鸞聖人は800年前に、人生は苦しみの波の絶えない「難度海」だと言われました。苦海の波は静まるどころか、感染症、不況、異常気象と、容赦なく襲いかかります。眼前の荒波を、どう乗り越えるか、私たちはそれしか考えられません。
今、聖人のみ教えを聞いている人も、特に初めは、難度海の苦を解決したい心が強かったのではないでしょうか。ですがそれは入り口であり、仏教の真の目的は、後生の一大事の解決です。
仏法では、我々の生命は永遠に続くと教えられています。その歴史から見れば、人生100年など、一瞬に過ぎません。一息切れたら、この世の苦しみよりも長く激しい苦患に沈むと、釈迦は警鐘乱打されています。
仏眼からごらんになれば、全人類は噴火山の頂上から身をのり出しながら、足下の地獄を知らずに笑っている無知な赤子です。やがて必ず死なねばならないのに、その先は全く考えず、この世を生き延びるのに精一杯で、健康や財産の心配しかしていないのです。
しかし、そんな私たちも、聞法を重ねるうちに、後生の大問題に驚き、解決を果たそうと、真剣な求道が始まるのです。
阿弥陀仏の本願を聞き開き、一大事の後生を助けていただけば、この世から無量の利益(幸福)を獲ると聖人は明言されています。一つ挙げれば、至徳具足の益です。「至徳」とは、弥陀が完成された無上の功徳、「南無阿弥陀仏」のことであり、「具足」とは一体になったことをいいます。
日本中の金を手にし、遊んで暮らせるようになったところで、人間に生まれて良かったという歓喜はありません。1週間で退屈するでしょう。
だが至徳具足になれば、大宇宙の宝を丸貰いして、どんな億万長者とも比較にならない、最高無上の果報者になります。一体だから、盗まれたり地震で失う心配もなく、その満足は永久に色あせないのです。
後生の解決という「米」を取れば、明るく楽しい人生という「藁(わら)」もついてきます。しかし、あくまで究極の目的は浄土往生。死ぬまで金に困らぬ長者より、未来永劫、迷わぬ無碍人になりたいものです。
(R3.11.15)