17歳に届けたい 親鸞聖人のメッセージ
格差が広がり、親の収入が人生を左右するという指摘が増えてきました。その一つが「親ガチャ」という流行語です。「どんな親の元に生まれるかは、くじを引くようなもの」という意味です。
家庭環境に不満を持つ若者の、「親ガチャ失敗」という嘆きに、賛否両論がけたたましい。公平な社会を目指すべきなのは当然ですが、不幸の原因を親になすりつけ、育ててもらった感謝のない人は、この世で最も不幸な人でしょう。
幸・不幸の原因が「親」でなければ、何なのでしょうか。世界の相当数が、「この宇宙を創造した神が、我々の運命も作って与えたのだ」と信じています。日本人が年始に宮参りをするのも、頭を下げれば幸せになれると期待してのことでしょう。
また、災難が続くのは先祖の祟りと脅かす者もいます。「先祖」と聞くと、祖父母や、さらに遠い親族だと思いがちですが、一番近い先祖は親です。不況になっても削られないのは、教育費といわれます。親が子供の幸せを最優先している証でしょう。子孫を平気で苦しめる者など、親でも先祖でもありません。
悲しいことに世間中が、自分の不幸を、親や学校、社会、国など、他者のせいにしています。ですがそれでは、怒り憎しみがつのるばかり。何の解決にもなりません。
釈迦は、自分に現れる幸・不幸の全ては「自業自得」であり、自分の行為が生み出したものだと教えられています。
幸福という善い結果が現れたら、感謝して一層、光に向かわなければなりません。逆に不幸や災難がやってきた時は、「私が恐ろしい罪を造った結果だ」と懺悔し、二度と悪い種をまかぬよう努力せよと勧められるのが、仏教です。
この厳粛な「自業自得」の道理を知れば、無限の進歩向上が開かれるのですが、愚痴な私たちは自惚ればかり強く、不幸の原因が自分にあるとは、とても認められません。己の行為を振り返らず、他人のせいにしがちです。
怨念から復讐の鬼となった者が、勉強や仕事、恋愛で挫折して人生に絶望した結果、無関係な人を殺傷して自分も死ぬ、「拡大自殺」といわれる犯罪が目立ちます。
先の共通テスト当日、東大前で高校2年生が3人に切りつけた事件は、教育界に波紋を広げました。逮捕された少年は、「成績が上がらず自信をなくした。自殺する前に人を殺し、切腹しようと思った」と供述したといいます。識者はこぞって、受験だけが人生でないと訴えています。「そのうち別の良いことがあるよ」という慰めに、何の説得力があるのでしょうか。今こそ、親鸞聖人のメッセージを届けましょう。
「どんなに苦しくても、あきらめないで。あなたはやがて、大きな幸せに恵まれるのだ」
(R4.2.15)