強気の男も、死の前に泣いた
「死んだら、どうなるんだろう。私はよく、そんなことを考える」
こんな書き出しの投書が、朝日新聞(※1)に掲載されました。13歳の中学生です。
「天国や地獄という死後の世界が本当にあって、そこで存在し続けることができるのなら、そう願いたい。けれども、死によって私の意識も心も、何もかもが永遠に消え失せてしまうとしたら……」
「底なし沼に沈んでいくような恐怖に襲われている。そして、『まだ私は若いから』と思考を中断するのだ」「大人になったら、怖くなくなるのだろうか」と続きます。
先日、石原慎太郎氏が89歳で亡くなりました。大学時代に芥川賞を受賞し、時代の寵児となって国会議員、都知事まで務めましたが、その強気の発言は物議を醸すことも多かったようです。
彼は、2年前の著作『死という最後の未来』(※2)で、「すぐそこにある死を直に感じる。毎日、自分の死を考えている」と語っています。「死ねばなくなると思う」「死ぬことは虚無だ」と言う一方で、「死にたくない。死というものが何だかわからないから、死んでも死にきれない」「しかし誰も知らないし、教えてくれる人はいない」「今、非常に混乱し、狼狽している」と正直に吐露しています。
昨年末、盟友・亀井静香氏に、あと2、3カ月の命と医師に告げられたことを話した石原氏は、涙を流したといいます。
死を目前に、混乱し狼狽するのは彼だけではないでしょう。
親鸞聖人は、古今東西すべての人の苦しみの根元は、「死んだらどうなるか分からぬ、死後が暗い心の病」であると明示されています。
これはしかし、万人の人生を苦に染める最も恐ろしい難病ではありますが、生きている現在、完治できると説かれています。
この「死後が暗い心の病」を治せる大宇宙で唯一の名医の存在を案内してくだされたのが、仏教を説かれた釈迦です。
名医とは、十方諸仏に師と仰がれる阿弥陀如来のことです。
弥陀は、「死後が暗い心の病」を一念で治し、「死んだらどうなるか、ハッキリさせる」と誓われています。一念とは、何兆分の1秒よりも短い、時間の極まりを言います。
いつとはなしに有り難くなったのが、弥陀の救いでは断じてありません。
弥陀の一念の誓いは、1秒後に死んでしまう瀕死の人をも、漏らさず救う大慈悲心からでありました。
平生の一念に、弥陀に救い摂られた人は、死ねば極楽浄土へ往生できるとハッキリするのです。
この真宗の肝要を蓮如上人は、「たのむ一念のとき、往生一定」と明言され、これを知らない者は真宗ではない、と厳しくおっしゃいます。
せっかく人として生を受け、無上の幸せになれるチャンスをつかみながら、千載に悔いを残してはなりませんね。
(R4.3.1)
※1『朝日新聞』令和4年2月7日朝刊「声」欄
※2 幻冬舎