戦場にも大悲の雨は降り注ぐ
ロシアによるウクライナ侵攻に、世界が震撼しています。
平穏な日常が突如破られ、「21世紀になって、まさかこんなことが」と顔を覆う女性、母国を追われ国境を越えて逃げ惑う数百万の人々、妊婦や誕生したばかりの命までが砲弾の犠牲となっています。
日々の映像に言葉を失います。
独裁者は、核の恫喝をもちらつかせています。まさかと思いますが、愚かな人間は業縁次第で何でもすると歴史が証明しています。
怪我人の治療や、生活に困窮する人々のために、できる限りの支援が必要です。ウクライナ、そしてロシアの人々にも、一日も早い平和が訪れることを願ってやみません。
思えば800年前、親鸞聖人の時代も、源平の争乱、飢饉や大火、大地震が相次ぎました。天変地異が発生するたびに元号が変わり、聖人90年のご生涯で35回の改元がありました。
500年前、蓮如上人の時代もまた、疫病が蔓延し、応仁の大乱で多くの民衆が死んでいきました。
いつの世も、いずこの地も、火宅無常の世界に煩悩具足の人間が生きています。
かかる時、両聖人はどうなされたでしょうか。物質的な援助ももちろん大事ですが、両聖人は、万人の究極の救いを明らかになされることに全生命をかけられました。それは、阿弥陀仏の誓願の開顕に他なりません。
戦争や核を恐れる人間の不安の根底には、生死の大問題が横たわっています。死ねばどうなるかハッキリしない「死後が暗い心の病」こそ、人生苦悩の根元なのです。
阿弥陀仏は、この根本の難病を完治させ、「すべての人を一切差別なく、無上の幸福に救い摂る」と命懸けで誓われています。
29歳の時、この弥陀の誓い通りに救われた親鸞聖人は、「誠なるかなや、弥陀の誓願」と叫ばれました。そして、これは決して親鸞だけのことではないと、「人種、性別、年齢、貧富、才能や能力の有無、美醜、学問、経験などとは関係なく、すべての人が弥陀の誓い通りに救われて、永遠の幸せになれるのだよ」と、全人類に呼びかけられています。
障害を持った人、重い病気で悩む人、臨終が差し迫っている人もあるでしょう。そんな方たちにも、「あなたも『生まれてきてよかった』と喜べる、無上の幸福になれるのです。弥陀の救いは一念で達成されるのだから、手遅れということはありませんからね」と、聖人は希望の光を明示されています。
戦火のウクライナで、多くの法友が、今も命懸けの聞法を続けています。「聞く一念で無上の幸福に救う」のが弥陀の誓いであるからです。
大悲の法雨は戦場にも、今も平等に降り注がれているのです。
(R4.4.1)