親鸞聖人の説かれた広くて深い仏語
「聖人一流の御勧化の趣は、信心をもって本とせられ候」(蓮如上人)
親鸞聖人90年の教えで最も大切なのは、「信心」だと断言されています。信心以外に聖人の教えられたことはありませんから、これ一つ分かれば、浄土真宗は全て分かります。それほど広くて深い意味を持つのが、「信心」という仏語です。
聖人の説かれた信心は、「名号」と密接な関係があり、単独で理解することはできません。名号とは、「どんな人も必ず無上の幸福に救う」と誓われた阿弥陀仏が、その約束を果たすために創られた「南無阿弥陀仏」のことです。
広大無辺な功徳(宝)の結晶である名号を「薬」に例えるならば、信心とは薬を飲んで病が「全快」した状態に当たります。ですからまず、名号がどんな病を治して下さる特効薬なのかを、知らねばなりません。蓮如上人は、全人類は「無明業障の病」という難病にかかっていると教えられています。それは平易にいえば、死んだらどうなるか分からない、死後に暗い心の病です。
人は死を忘れ、生だけを考えようとしています。しかし一日生きたということは、一日死に近づいたということです。どれだけ目をそらしても、刻一刻と死に近づいている事実は変わりません。では一息切れたら、どこへ旅立つのでしょうか。行き先は、科学も医学も文学・思想も、お手上げです。
「考えたって分かるものじゃない。死んだら死んだ時」と言う人もありましょう。しかし「老後になったら老後になった時」と言わないのは、なぜでしょうか。年金だけでは生活費が足りないと、退職してから慌てても手遅れだからです。だから皆、目の前の楽しみを犠牲にしてでも、貯蓄に努めるのでしょう。老いた先がハッキリしないと、若い時から不安になります。未来が暗いと、現在も暗くなるのです。
「われわれは断崖(危険)が見えないように、何か目かくしをして平気でそのなかへ飛びこむ」とパスカルは危ぶみます。死んだらどうなるか分からぬ人生は、闇の中を目隠しをして突っ走っているようなもの。そんな底知れぬ不安を抱えたまま、どうして真の幸福が得られましょう。「死後が暗い心の病」こそ、一切苦悩の根元なのです。
この難病を治す特効薬である名号を弥陀から頂いて、全快したことを「信心」といいます。「死後が暗い心の病」が完治するとは、命終われば必ず弥陀の浄土へ往ける身になることです。未来が無限に明るくなるから、現在から大安心に生かされます。一息一息が、「人間に生まれてよかった」という生命の歓喜に輝くのです。
コロナに戦争、人類の苦悩は果てしがありません。無上の幸福を伝えるは今なのです。
(R4.4.15)