今、最も伝えたい 親鸞聖人のメッセージ
新型コロナ発生から2年、世界が疲弊するさなか、まさかの戦争勃発です。平和と繁栄の夢は、もろくも崩壊しました。これから長き辛苦を重ね、かつての日常を取り戻したところで、また想定外の人災と天災に見舞われるでしょう。
いったい何度、同じことが繰り返されるのでしょうか。無益な苦しみばかりやってくる人生に、どんな意味があるというのでしょうか。今ほど、「なぜ生きる」と問われる時代はありません。
「生きる目的」は万人共通、唯一です。それは死んだらどうなるか分からない、「死後が暗い心の病」を完治して、「無上の幸福」になることだと、親鸞聖人は明言されています。
「死後が暗い心の病」とは、「無明業障の病」ともいわれ、誰もが例外なく抱えている難病です。
生まれた時が、飛び立った飛行機。「生きる」とは、昨日から今日、今日から明日へと「飛んでいく」ことです。やがて必ず「寿命」という燃料が尽きるが、降りる場所は分かっているでしょうか。
人が死ぬことを、「旅立つ」といいます。では今生の旅が終わったら、どこへ行くのでしょう。来世はあるのやらないのやら、あるとすればどんな世界か、見当もつきません。死んだらどうなるか分からずに生きるのは、着陸地を知らずに飛んでいるようなものです。それでは1分1秒が、墜落に近づく恐怖のフライトになってしまいます。
だがすべての人は誕生と同時に、そんな飛行機に乗り込むのです。ここに、人生が苦に染まる根本原因があります。「死んだらどうなるか分からない心の病」こそ、全人類を苦しめる元凶なのです。
70年前の日本人は、白黒テレビや洗濯機、冷蔵庫に憧れていました。その次はカラーテレビにクーラー、車を求めたが、現代は必要な物は全てそろい、欲しい物が見当たりません。とりあえず金だけは欲しいのが、本音でしょう。
どれだけ科学が進歩し生活が便利になっても、心から喜べないのは、無明業障の病のせいです。
その「死んだらどうなるか分からない心の病」が完治するとは、阿弥陀仏のお力によって、「死ねば極楽浄土に往けるとハッキリすること」であり、それを「往生一定」といいます。
極楽浄土は無限に明るい世界だから、確実な未来が浄土に定まれば、「人間に生まれてよかった」と、現在の一息一息が光彩を放ちます。この往生一定の大安心を、『歎異抄』には「摂取不捨の利益」「無碍の一道」と説かれています。それは「私ほどの幸せ者はない」と大満足する、「無上の幸福」です。
苦難の濁流が押し寄せ、人類は生きる希望を失っています。『歎異抄』に明記された人生の目的こそ、人類の光でありましょう。
(R4.5.15)