聞法、再出発
大阪府 40代男性
私は学生時代に、親鸞会とご縁がありましたが、仏法を聞きに行ったり、行かなかったりと、それほど熱心に聞法するタイプではありませんでした。
社会人となり、10年近く経った30代半ばになるころには、何度も仏法聞くのを辞めようと思うようになりました。
私は、大学院を卒業した後、大手化学会社に研究員として就職しました。
当時は、バブルの絶頂期を過ぎようとしていたころです。営業部門へ異動となり、ほとんど毎晩おつきあいと称して社内外の人たちと酒を飲むようになり、休日には下手なゴルフへもでかけるようになりました。たちどころに心身共に疲れ果て、仏法を聞く気持ちがなくなっていくのです。
「仏法を聞かずして一体何の人生かと思う一方、とても自分のようなものは助からないのではないだろうか。そうだとしたら、人生むなしく過ぎて死んでゆくだけなのか。ああ、このままで本当によいのか」と煩悶する日々が続きました。
40歳も過ぎた頃、会社に品質管理部門への異動を命じられました。
テレビに代表される、見た目華やかな液晶関連分野ですが、舞台裏は全く想像もできない世界でいた。
今までと畑違いの場所に右往左往する毎日、次々に発生する品質管理問題に振り回され、未処理のまま放置するものが増えて行きました。連日夜遅くまで残業し、土日も休みもなく働いても、仕事が減ることはありませんでした。精神的におかしくなっていく同僚が何人もありました。このままでは自分も体をこわすか、精神的に参ってしまう。
一年ほど苦しんで出した結論が転職でした。今から2年前のことです。
これで人生の波がなくなった訳ではありませんが、ようやく心の落ち着きと冷静さを取り戻したように感じました。そして、しばらくすると懐かしい法友が自宅を訪ねてきたのです。話しているうちに、かたく凍り付いた心がほぐれていき、なぜか仏法を素直に聞くことができました。
その年の親鸞会館の報恩講参詣をきっかけに、私の聞法は再出発したのです。辛い転職は、弥陀のご方便であったのかと今では思います。
妻や家族、有縁の方々に親鸞聖人のみ教えをお伝えしていきます。